実際に心が弱り疲弊している当事者は中々主体的行動は難しい?そんな人の弱味に付け込んで鬱は心の風邪や、お父さん眠れてる?や名称を心療内科と言い換えて敷居を低くしたりと商売要素で大々的宣伝や浸透をはかった責任は逃れられないと思います
今でも日本では超劣勢であり孤独で得もなく損が多い活動なのに頑張って継続的、精力的に活動してくれてる方主要なkebichanさんやかこさんアリスパパさんには本当に感謝尊敬、希望と癒しでありそれぞれ人生の中で一番感謝している方の一人です。
しかし断薬が終わったなら精神医療や薬や関係者に責任を問わず(根本的制度や責任の所在は解決していない)単純にうやむやにして前を向け論や、過去は忘れて今の人生に集中すべき論には抵抗を覚えます
もちろん今与えられた環境下での回復や人生の豊かさ追求にフォーカスすべきことは一つの面でもっともであり正しく恨みや過去に執着すべきでないことは一側面として重視するべきだと思います。

一方で自分の体質要素含む経験から言うと
・元来泣き虫であり映画やドラマなどを見るとすぐ感動して泣く泣き虫であり母親との関係でも泣きじゃくる泣き虫であったことや緊張しいでヘタレやびびり怖がりだったこと
・カフェインを摂ると頻尿や覚醒?の作用が少し強く出て飲んだ日は寝付きが悪くなる時間が長く続く、アルコールではすぐ顔が赤くなりやすいこと、煙草等も物質が体内で重く不快に作用しやすいこと
・アレルギー体質で慢性的な鼻炎であること
などから人より物質に過敏で繊細である体質な可能性はあります

その上で元来の生まれつきのコンプレックスがあったことによる悩みやいじめ、人間関係に億劫になったことに対して抽象的で無責任なイメージの「薬を飲んだら良くなる」という親の言葉で学生時代に病院に行き服薬が始まったこと
覚えてる(かなり記憶は薄れてしまった)主な薬はSSRIパキシル、ベンゾ系レキソタン?でその他色々ありました
自分にとっては薬を飲んでいる間に何か効果や良い作用はほとんど感じたことはありませんでした
不快で悪い作用は(薬を飲むまでは一切なかった)
体の中から沸き上がるぞわぞわイライラする不快感、衝動性、攻撃性、感覚の鋭敏化、焦燥感
歩き回ったり体を動かしていないとわーっと叫び出したり発狂してしまいそうなぞわぞわ感や焦燥感、不快感などのアカシジア、電車の中で一定時間座っていることすら苦しい体の中のぞわぞわイライラで貧乏ゆすりや何か体を動かしてないと叫んだり暴れだしてしまいそうな体内の不快感や衝動性、大勢の人々の中で叫んだり暴れだし電車の扉をこじ開けて飛び出したくなるような不快で仕方ない感覚(服薬後の感情制御困難は断薬後は抑えられるようになりました)
薬が残っている場合は大したメリットや効果も感じないのに薬が抜け出した時には極度の感覚鋭敏化、焦燥感、極端な様々な情緒や平穏を保つ物質の枯渇感による感情や感覚のぐっちゃぐちゃしたドロドロの不安定さやカオス的な精神状態
麻薬や違法薬物ってこういう感じなんだろうな(*断じて一度もそれらを使用したことは絶対に確実にありません。)って感じるような急速でガツンとピークを迎える作用、そして一気に減速して強烈な物質枯渇感、虚無感、離脱、依存を生じること
大してメリットや効果も体感していないのに服薬時または抜けた時の精神安定や平穏を維持する為に必要な薬の量が一定では足らなくなってどんどん依存が強くなっていくこと
麻薬のような脳の萎縮で頭が働かず思考ができなくなることと同じ作用は実際にあるはずだと体感したこと、それは減断薬後も残り不可逆的であると感じたこと
本来自分は英語や漢字テストなどでも100点を取ることが得意だった程度には記憶力が良かったこと
しかし服薬、減断薬後は毎回メモを見ないと住所もろくに記憶できない、友達や人との会話で特に覚えたい情報も中々記憶が難しいときがあるなど明確な不可逆の後遺症を感じること
感覚鋭敏化、極端な反応が残り耳栓をしないと眠れないし些細な物音に過敏になりトラブルを起こしてしまうので一日中耳栓をしないと落ち着かなくなった

これらの感覚や体験は服薬前にはなかったことで服薬後に明確に増幅された確かな主観的事実ですが
色々な方の意見やブログや体験談を見て考え続ける内に確かに個人差や体質的差異は明確に存在することや自分は多少物質過敏であったことも認識しなきゃとは思いましたがそれでも
動くこともままならない重度鬱や、過度な幻聴幻覚に耐えられない統合失調や社会生活に支障のきたす重度の発達の方々等がそれぞれ個人の選択で実験的要素を容認し強い希望で使用するなど以外の9割の人には投薬や薬物療法は必要ないどころか害悪でしかないと思います
そして自分の体験や経験を客観化、物理的観察、検証証明が極めて困難な人間の複雑な宇宙と同じまだまだ未知で分からないことである精神、感情の問題であり
自分の体験や経験を病気の進行や本質の増幅、(全てが)精神依存による体質だとあやふやな抽象的な事実関係の希薄さを利用した言動が許される無責任な分野であること
自分が望むのは精神や心理分野において治療者と患者という医学モデルを敷居を低くして万人に普遍的に適用するのは時期尚早も良いところで限界や不完全性を自覚すること
イタリアの脱精神病床囲い込み化や地域化、オープンダイアローグや精神や心理分野においては頭でっかち専門人だけでない様々な分野のチームやCoopによる総合的俯瞰的なアプローチを試みることもしくは医療投薬モデルは必要最小限であり基本的には適用せず、ヒエラルキーによらないコミュニティや信頼できる人々、ただ側にいて理解してくれ否定されない関係を形成すること
それが重要だと考えるので
過去や経験に基づくやり場のない叫びは恨みや執着、固執という負のエネルギーであるのと同時に自分の戻らない体、脳、人生、経験と時間に対するせめてもの制度や自浄作用の変化や改善の希求、救い、自分の犠牲を役立て同じことを起こさないことでしか昇華できない思いです

もちろん個々の体質、経験、作用によって感じ方や体験、考えは本当に千差万別でしょうから考え方は違って良いし精神医療や薬とどう向き合い利用するかの方向性もそれぞれ様々あって良いと思いますしそれぞれが言いたいことを言えるべきだと思いますが
少なくとも医療モデルや投薬モデルは日本社会における大多数の正義であり一般的な方法論として推進許容されてますからそれらは個々で向き合い取り組み方は試せるはずですので
自分は他の方の様々な症状や考えや方法を否定、攻撃する意図はありませんしこれでも普段から抑えて皆様の邪魔をしないようにと努力してるつもりなので数少ないこの場ではたまにはこういう意見も許容していただいて変な空気や活動の邪魔的に受け取らないで頂けたら嬉しいです
とはいえ必要ない人々まで医学投薬モデルに組み込むようなシステムはそれぞれが選択できるように改善すべきだしましてや知識や視野の狭く主体的な方向性を選択しづらい10代以下には絶対に特に慎重になるべきだと思います

話は変わり例えばですが石郷岡病院の事件は当事者や家族ですらそこまで言ってない失礼な憶測になるかもしれませんが、あくまで主観的な憶測としての意見ですが
良くある学生時代や大学、十代と二十代の狭間や就職時期の人間関係や人生の危機、反抗期ややり場のない時期の暴力的冒険や威圧という混乱や不安定さの発露というのは程度の差はあれ誰しも通る過程だと思うし
葛藤や危機に対して医療や投薬の選択をしてしまったために具体的な身体的症状、障害や薬漬け、拘束で文字通り廃人にされて「精神障害者」という呼称にされてしまう
薬による変化や苦しみは痛いほど分かるので過度な投薬による不快感、自分が自分でなくなる感覚、変化していく身体症状
人為的、後天的に「障害者」にされていく自分
隔離拘束されて不快感やこれじゃない感、への葛藤や粗雑な扱いに対する不満と自身への失望で反抗的態度を取ってしまう可能性は容易に想像できます。

気分の落ち込みが続き、軽い不眠や悩みがあったらすぐ相談とか普遍的に敷居を低くしといて責任がない等許されないし
権威主義や「先生」への依存により心の安定を求める人には良いですが必要ない人にまで薬物を広めてしまいます
こんな長文で先鋭化した奴と感じられる方もいるかもしれませんが(自分は抽象論ではなく事実関係を書いてるだけのつもりです)
こんな強い考えと方向性があるなら自分で活動や自己主張をやれば良いと思われるかもしれませんが根は弱いしヘタレなのでかこさんやアリスパパさんやみなさんのコミュニティに助けられ、繋がりに希望を見出だしています
意見を押し付けるつもりはないしそれぞれの体質や状況によって多様な意見があるべきだとは明確に思いますので自分は迷惑かけるつもりはないし威圧するつもりもないので多様な意見は保障されて欲しいです
皆様に邪魔になったらと思うとこれでも普段は抑えて黙ってます
かこさんやその他の活動者さんやみなさんにすべては求めていないし求められないし大同小異で
・まず多剤大量処方はなくす
・あまりに酷い自傷他害や犯罪以外の本人が能動的、自己選択的に望む場合以外の隔離拘束投薬という人権侵害は国際比較平均水準レベルに減らす
・必要ない人や選択しない人にまで安易な処方は避ける制度作りや安易に医療や投薬というヒエラルキーに固定されるルート指定を減らす
・劇薬的な被害の大きい薬はなくしていく
・医療や投薬モデルだけによらないメンタルケアや心の拠り所や代替の居場所作りを提示していく
・イタリアや欧州のオープンダイアローグや脱精神病床囲い込みによる地域化や初期段階は医療モデルによらないコミュニティや社会における制度変更やストレス低減、危機に対する対処を模索する

ことなど徐々にゆっくり変わって行くことを望みます
いつか自分への薬害や間違いや行き過ぎが社会的に認められるかは分かりませんが遠い将来認められたところで自分の人生は戻りませんがせめて何かが改善、失敗の修正がないとさすがに自分の人生が浮かばれません
そういう思いでかこさんや皆さんに甘えて依存し活動に感謝し、癒され、救われ頼っています
考え方は違って良いし、変わった奴で本当にすいません
ありがとうございます。
失礼しました