携帯の販売の仕事を寿退社したあと、ある携帯電話会社の代理店サポートデスクでオペレーションの仕事をして、妊娠、出産のため退社したけど、この会社でも人間関係は緊張と苦労の連続だった。上司のあたりの強い発言に翻弄されいっぱいいっぱいでやっていたけどそんな気持ちでいたのが私だけではなかったのがわかってホッとしたりしていた。

離職する人が後を絶たない職場だったけど仲間に助けてもらって成長できたから感謝もしている。そんなふうに思えるようになったならこの会社で働いて良かったのかもしれない。

今は馴れない育児に翻弄されているけど、もうそろそろ社会復帰して、外に出ないとね。
社会人になってからの私は、人間関係での苦労がなくなることはなく、むしろ大変になったけど、日々をなんとか乗り越えてきた感じだった。ストレスをうまく発散できなくてうつ病になったり、恋愛でも自分の性格が原因でうまくいかずに別れを繰り返したり。正直言って自分の性格の大元は変えることなんてできないんだからそれも受け止めて改善すべきところを直していくしかないんだよね。

人と違う部分があってもそれが自分で、他人と同じすぎるのが異常だと思うんだけど、他人から見てなんか変だとバッシングの対象になったり。弱い人間だからこそそんなことが起きるのかな。

私が最初に就職した仕事は薬局・化粧品販売の仕事で、化粧品の担当だったけど、所詮女性中心の世界だから陰湿ないじめは不登校のときよりも精神的なダメージはあったように思う。でも若かったから怖いもの知らずで乗り切ってきたけど、4年我慢したらある日ぷつっと何かが切れて、また精神的におかしくなっちゃった。同じ時期に恋愛でもかなり精神的なダメージもあったので耐え切れずに仕事は辞めてしまった。体調もおかしくなるし、少し休んでから携帯電話販売の仕事に就いた。

この会社も、世間で俗に言われる「ブラック」な色が蔓延している会社だったので今度は理不尽な労働環境、そして女性中心のよくわからない噂や中傷がはびこっていてそれでも6年間我慢して働いた。だけど前の仕事では恵まれなかった信頼できる上司、同僚がいてくれたのでその事だけが唯一の財産になった。

恋愛でもかなり紆余曲折があったが何とかいい出会いがあって結婚することになり、寿退社できた。

ここまでの経験を踏まえても、正直言っていじめと呼ばれるものは社会に出てからの方が大小問わず多いけど、多感な時期に受けるいじめは特に一生心の傷になると思う。どう対処するかは状況次第だけど、苦しくて自殺したい気持ちがあるなら、状況を改善するためにできることや使えることはとことん試して、信頼できる誰かに相談する事からまずははじめたほうがいい。私は、母親に相談したけど、身近な人に相談しにくいなら公的なサービス、またはネットで情報収集するなど方法はいくらでもあるだろう。思いつめる前に、行動する勇気を出す方が先だと思う。

きれいごとかも知れないけど明らかに昔よりも大人も子供も社会環境の変化が激しくて生きていくのが大変な世の中になっていると思う。だからこそ不登校の悩みは複雑になっているし、自分ひとりだけでは対処が難しい気がする。心の成長も途中なんだから誰かに助けを求めたっていい。自分の中だけで解決しようなんて思わなくてもいい。だから死のうなんて考えないで欲しい。
中学3年生でなんとか学校への登校を再開できた私は何が何でも高校に進学できるようにしようと心に決めた。学習に関しては前回の記事で述べたとおりだが、人並みになるまで他人よりも努力しないといけなかったのでとても大変だった。でもそのことをつらいとは思わなかったし、自分の決めたことを頑張るのは当たり前だとも思った。

具体的な将来目標は定まっていなかったがなんとか私立の普通科高校への進学を果たす事ができた。誰よりも家族が喜んでくれたが、養護教諭の先生と不登校の時期を支えてくれた担任の先生が卒業式で泣いていたのが印象深かった。

正直、中学3年生の1年間は自分のことに必死にならないといけない時期で人間関係のことまで気をまわす気持ちの余裕はなかったけど私はそれでいいと思う。かけがえのない友人を作れなかったことは残念だが、当時の自分にはそのことがストレスになっていた面もあった。

本当は不登校しなければもっと違う進路もあったのにと思ったこともあるが、いじめなどのストレスがひどい場合必ずしも学校へ行く事がプラスになるとは思えないので思い切って休む事も場合によっては必要なのかもしれない。但し本人も大体の人が親に心配をかけないようにしたくていじめの事を告白できなかったりすることは未だに多いと思うので良好な親子関係と学校単位での対策は不可欠だと思う。私は教育問題の専門家ではないので具体的な方法などは述べようとしても考えもまとまらず言葉にできないが、意見交換の場に積極的に参加していくことも私には必要なのかもしれない。

高校に進学してからは勉強に関しては燃え尽きてしまったためあまりいい状況ではなかったがお世話になった養護教諭の先生に恩返しがしたくて養護教諭の資格を取れる短期大学への進学を希望して、なんとかそれは達成した。残念ながら教諭にはならなかったが、社会人として、かつての私なら避けていただろう接客業への就職をした。特に希望はなかったが、人間関係を構築する事が苦手な私は荒療治で人と接するようにすれば少しでも良くなるのではないかと考えてのことだった。