彼女の地球滞在期

彼女の地球滞在期

気づいたら船ごと流されてたどり着いたこの地に、果たして根を下ろせるのだろうか……

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昨日不思議な夢を見た。

見知らぬ男性とこじんまりとしたカフェで向き合って話し込んでいる夢だ。

彼のことも、その場所も知らないが、『私』はちゃんとそこがどこだか分かっていて、その男性のことも知っているようだった。

彼はカップに入ったコーヒーを口に含むとため息をついた。

「君には大人になってもらいたくない」

彼は伏し目がちでそう言った。内心何を言っているのだと鼻で笑いたくなるような内容なはずなのに、『私』は苦笑した。彼が『心配』していると知っているからだ。

「ありがとうございます。でも、私は    」

何か『大人になる』理由を彼に伝え、彼も「分かっている、分かっているけれど……」

と、語尾を強くした。

「それでも、願うのは自由だろう?」

「叶わないのなら自由ですけど、叶えられてしまうなら自由とは言い切れません」

「……それもそうだ」

 現実では願ったところで何も叶わない。叶えるためには狡賢く、他人を騙しながら努力しなければならないのだから。

「大人になるなんて、良いこと何もないと知っているはずだろう。なぜ今更その気になったんだ。誰かの入れ知恵か?」

「ふふ。違いますよ。ただ、    ですから」

『私』は頑なだった。空白の言葉はどんなに耳を澄ませても聞こえないのに、やけに自信満々だ。

「ここがなくなったら僕はどこにコーヒーを飲みに行けばいいのかな」

「きっとすぐに新しい子が来て、あなたは私のことなんてすぐに忘れてしまいますよ」

「寂しいことを言うね」

「ええ。本当に……でもそれが真実でしょう?大人になるってそういうことだって前に言っていたじゃないですか」

「確かに言ったけど、君だけはずっとここにいてくれると思ったんだ」

『私』はまた苦笑した。


 彼はいつの間にか飲み干したコーヒーカップを『私』の方に差し出すと、立ち上がった。

「それじゃあ、僕はもう行くとしよう。引き留めても無理だと分かっている子に時間はかけられないからね」

「まあ!最後くらい笑顔で送り出してくれたっていいのに」

「冗談じゃない。大人になる子に笑顔を向けられるほど僕は出来た男じゃないのさ。そんなこと知っていただろう?」

彼はいたずらっぽく笑うと、「元気で」と言って店から出て行った。

カップにはほんの一滴分のコーヒーが残っていて、『私』はその最後の一滴を口にした。

上唇についたコーヒーをペロリとなめとると、『私』はそのまま目を閉じた。

目が覚めたらきっといつもの家で目が覚める。きっと夢のことも全部忘れて……。

だけどこれだけは忘れないでいたい。

自由奔放、好奇心、純粋さ、その心が今もまだここに存在したことを。


 そんな夢の話し。

   学生時代、バレンタインに普段なら絶対にしない手作り菓子作りに挑戦した。
好きな人に少しでも褒めて貰いたくて、普段お米すら炊けないくせにシュークリームなんて高度な菓子作りに挑戦し、結果だけ言えば惨敗だった。
あの人にあげたはずのシュークリームの感想は何故か別の人から言われ、挙句に何故か「スコーンおいしかったわ」と言われる始末。
それ以来手作りなんて絶対にしなかった。

   「手作り菓子がいいな」
大人になって、そんな学生時代の悪い思い出の沼に囚われていた私を引っ張り上げてくれた彼。
「私、手作り得意じゃないの。食べたらきっと後悔するわ」
「失敗しようが、なんだろうが、僕の我が儘を聞いてくれるだけで嬉しいんだ。だから作ってよ」
「どうなっても知らないからね?」
そう言って作ったシュークリームは綺麗に膨らみ、黄金のカスタードに彼は「すごく美味い!」と喜んでくれた。


  「ママ、作り方教えて?」
毎年飽きもせずに作っていたのに一度も文句を言わなかった彼と、それを同じように「サイコー!」と言ってくれた娘。そんな娘にお願いされて、その年は大好きなパパへ二人でシュークリームを作った。彼はいつものように「世界で一番美味しい!」と喜んでくれてた。


   気付くと娘は家を出て、新しい家族と共に歩みだした。それから少しすると今度は孫と娘と3人でじいじと孫のパパにシュークリームを作った。
2人は「こんなに美味しいシュークリームは初めてだ!」と喜んでくれた。
いつも、いつだって、彼は私のシュークリームを褒めてくれた。
夢のような毎日……。


  ある朝目覚めると、昨晩までダブルベッドだったはずなのに1人用ベッドに変わっていた。
見知らぬ部屋で、見知らぬ女の人が「今日は春一番なんですって。きっと昼間は暖かくなりますよ」と言って笑った。
カレンダーは2月14日に赤色でハートマークが書いてあって、窓からは見知らぬ景色が広がっていた。
「あの……」
「ああ、ひ孫さんたちが昨日冷蔵庫にいつものを置いて行ってくれましたよ」
「ひ孫?でも孫はまだ……」
言いかけてる途中で彼女は忙しそうに部屋から出て行ってしまった。
全て夢だったのだろうか……。あの幸せな毎日も全て……。
   「喜久子さん、お茶は何にします?」
再び戻ってきた彼女はお皿からはみ出しそうなほど大きなシュークリームを持ってきた。
「それ……」
「ひ孫さんと、お孫さんと、娘さんの合同作だそうです!」
差し出されたフォークを手に、シュークリームを食べると懐かしい味がした。何度も愛する彼に作ったシュークリーム。家族に唯一作ってあげたバレンタインのお菓子。
「これね」
「はい?」
「これ、私が生まれて初めて作ったお菓子なの。学生時代に作った時は失敗して、家庭科の先生にスコーン美味しかったって言われて、ショックで2度と作らないって誓ったの。でもパパに出会って、毎年すごく美味しいって言ってくれて、それ以来毎年バレンタインには必ずシュークリームを作ったの。毎年毎年飽きもせずに『美味しい』ってみんなが食べてくれて、何も隠し味なんてないのに、市販のより好きだって言ってくれたわ。でももうあの人には作ってあげられないし、みんなにも作ってあげられないのね」
「でもご家族が喜久子さんの味を引き継いでくれてるじゃないですか!」
彼女は「毎年羨ましいって思っていた」と言ってくれた。そんなに長く私は1人、ここで夢を見ていたのか。
「じゃあ、来年からは貴女が代わりにみんなのシュークリームの感想を言ってあげてちょうだい」
「来年からは頂いてもいいんですか?」
「ええ、また特大サイズを作って貰いましょう。でも、出来ればお紅茶と一緒に食べたいわ」
「あら!大変!今淹れてきますね!」

   誰もいなくなった部屋で、私はフォークで小さく切り分けたシュークリームをベッドの横の椅子に座る彼に差し出した。
「ひ孫たちのシュークリームですって。どう?」

「ふふ。もう!あなたったら。じゃあ今から貴方に作りにいくわね。私もね、そろそろ貴方に逢いたいって思ってたの。ええ、ありがとう。私も愛してるわ」
珍しく暖かい2月14日、私は再び眠りについた。




『美味しいけど、僕は君の作るシュークリームが世界で一番大好きだよ』


    



 おやすみなさい私の可愛い子供たち。
眠れないなら羊を数えてあげる。けれど50匹を数え終わる前に瞳を閉じてね。
それ以上は私の口に入れることは出来ないから。

さあ、目を閉じて。きっと明日は今日よりも素敵な夢を見れるわ。

おやすみなさい、私の可愛い子供たちよ……

羊が一匹、
羊が二匹、
羊が三匹……




羊が四十九匹、
羊が五十匹。


 嗚呼大変、もうお腹いっぱい。ご馳走様。
あらあら、まだ起きていたの?可哀相に、眠れないのなら明日の朝が大変ね。
きっと起きることが困難になるわ。
それなら起きなくても良い世界に連れていってあげる。
大丈夫、まだ一人くらいなら逝かれるわ。

さあさあ、母の口にお入りなさい。
二度と目覚めない夢の世界へ……

「おやすみなさい」