↓以下も渡邊さんの文章です
帰国後、23歳で結婚、いよいよ足固めをしなければならないと考え、楽器店をやろうと決めまして「河合楽器の新屋工場のリペア部門」で、
こちらは教えて貰う身、給料なんて貰えないから、なんと無償で働かせて貰いました。(フェルナンデスをOEMで作っていた時期です)
余った時間で、楽器の販売をブローカーのような形で知人にだけ販売しながら、開業後にレンタルするPAスピーカーを組み立てたりしていました。
事業資金を貯める為に、バンドの仕事をしながら、4年でなんとか600万円を貯め、27歳でWAW MUSICという店名で従業員1名を雇い、開業をしました。(お察しの通り、私の苗字から付けただけです)
本当にギターだけの専門店としてオープンしましたから、最初の2年は売上を確保するのが大変でしたね。
まあ、当時の楽器店はリペアができない店ばかりでしたから、ある程度の優位性はありました。
ニュージャージー州のヌアークのレアギターという店からヴィンテージギターも輸入し始めましたが、英語を勉強していた利点が生かせました。
今だから話せますが、当時はどこにもヴィンテージは無かったので、経営面では助かりました。
エフェクターなどでROLANDとの取引もしていた関係で2年後辺りからキーボード、シンセサイザー等も販売を始めましたが、メインはやはりエレキギターでした。
その頃、高校生の頃からいろいろ教えていたギター青年が転職してうちで働きたいと言って来たので、私の替わりにリペアーを任せようと言う事で、働いて貰う事にしました。
1982年頃、新井貿易がARIA PRO Ⅱでニールショーンとのエンドースメントでカタログなどに登場、PE-R80にフロイドローズをマウントしたモデルと掲載されていました。
当時のニールのステージは、曲によってフロイドローズがマウントされた黒のGibsonレスポールとROLANDのG-505を持ち換えて弾いていた。アームが使えるギターはこの2本がメインだったと思う。
単純にこれを一つにまとめれば「PEだけで行けるジャン??」
いや~、中学生時代のように久々に「脳内のお花畑が満開」で すぐにプロトタイプ製作ですよ。
ニールもG-505の配置が手馴れているだろうから、基盤をそのまま使用する事にし、コントロール関係の穴を埋め、掘り直し、裏のパネルはPE-R80のカーブドバックに合わせて叩き出し、フロイドローズをマウントする為のキャビティを開け、ロックナットを装着して完成。
当時のうちの担当者から新井貿易企画部長の鈴木さんに連絡をして、こんなんできましたけど、ニールに使わせてみない??と、言う事で、1983年の来日公演で実際に本人と会って、試奏をして貰い、最終仕様は、鈴木さんとニールに託したと言うのが発端です。
実際、このPE-R80はGRの基盤をマウントするキャビティの大きさと言い、フロイドをマウントする裏のザグリが大きすぎて、ダイレクト音がソリッドではなく箱のギターのようなサウンドで、私は余り好きではなかったので、結果ケーラーになったのは幸いでした。
仕様が決まり、木工完成状態でボディが送られて来ましたが、リアPUが少し1stPU寄りでデバイデッドPUの位置も、少し1stPU寄りになっていまして少し不満ではありましたが、何かあれば連絡してくるだろうと、その位置でマウントする事にしました。
ニールが使用したPEのコントロールキャビティのGR基盤を外して木工部分を見ると、ギタープレイヤーのうちの広告にも載っているキャラクターの横顔がスタンプされていますよ(笑
この時点で、ROLANDとは基盤を供給する契約も終えていましたが、通常では一個人店と供給契約などできませんが、故梯会長が私を気に入って居たようで、簡単にOKが出たようです。
当然の事で、他の楽器店には内密にと言うこでしたが、どこからばれたのか、暫くして石橋楽器店にも供給する事になったと報告を受けました。新井貿易とはニールの写真も使って良いのと、NSデカールの使用も許諾されましたので、5本のみ製作となった訳です。
新井貿易とROLANDの橋渡しをしてGRを広めようと努力はしましたが、両者の話し合いが、どうなったのか不明で最終的には流れました。で、新井貿易はGRコントローラー無しのPE-Neal Schon model を販売したようです。
ニールと2回目に会ったのはフロンティアーズを出した1984年の日本公演の初日の名古屋公演、と言うのはもうご存じですね。渡辺香津美さん、松原正樹さんとのいきさつも、もうご存じでしょう。
もう一人使って貰おうと考えて止めたアーティストがいまして、それがパットメセニーでした。
止めた理由は、メセニーがソリッドを使うイメージが全く湧かなかった事と、デバイデッドPUがフルアコでは変な干渉を起こし、誤動作が多くなる危惧が在ったからでした。
カシオペアの桜井さん用に、YAMAHAのベースにシンセベースコントローラをマウントした覚えもありますが、写真が在ったらまたお送りします。
*どの音楽雑誌にも掲載されてない貴重な楽しいエピソードで自分は読むだけで嬉しかった。