渡邊さんの生きざまや 情熱を世に残したい気持ちがあっても書いてはいるが、どういう人生でそういう事になったかは 心底キョーミがあった。

 

渡邊さんとは30通を超えるやりとりをして すべての許可をもらったうえでの掲載しています。以下は渡邊さんからの言葉です。

 

①突然のメール失礼致します。
1983年のジャーニー全米ツアー、1984年の日本公演で使用していたニールのPEを作った者で、渡邊と申します。

 

 約40年前のギターとは思えない綺麗さで、大切に使って頂いて本当にありがとうございます。
うちから直接購入されたと言う事ですから、きっと私とも電話で話しをしていらっしゃいますね。
当時で25万円という高い金額で、バイトも苦労したものと、お察しいたします。本当に良い人に買って頂きました。

 裏話になりますが、フロンティアーズを出した時の1984年の日本公演の初日の名古屋公演では、ギターの配線
トラブルが在りまして、急遽呼び出されてリハ前に直して事無きを得ましたが、あれを直さなかったら、どうなって
いたやらでした。(笑
何かの折にメールをさせて頂くかも知れませんが、その時はまた宜しくお願い致します。
渡邊 精徳

 

②私の半生に興味を持たれるとは思いもしませんでしたが、好き勝手に生きて来た事だけは確かです。
少し長くなりますから覚悟してくださいね(笑