東京で働いているのに偶然 福島県にいて震災にあったことは不思議だと思う。
 会津若松城に関することで会津若松市内をまわっていた。
大きな揺れが長く続いた。「こんなに長く揺れるか?。。。これは大変なことだ・・・」
と直感で思った。
 
 生まれて初めてアスファルトの道路が波打つの見た。堅い路面がこんにゃくのようにシナっていた。
そのまま市内を回るとお寺の瓦が落ちていたり、壁が崩れていたり、店のガラスが割れたり。

 車内でテレビを見ていたら、空港や畑が津波で流され始めた。

信号がすべて消えていた。
大きな道路の交差点は制御できず大渋滞が始まり高速道路が全面通行止めになり東京へ帰れるか不安になった。
 

 自分はあえて逆に日本海側に向かって山の中の道を通って東京に帰ることにした。
夜中になっても東京方面への道路はすべて大渋滞でなかなか動かなかった。
 

 戻った翌日、警察から許可証をもらい取材ドライバーとしてまた被災地に行くことになった。
東北自動車道は那須あたりから少しずつ割れがひどくなった。

緊急車両以外 何も走ってない割れている高速道路を走ることも今後一生ないと思う。

また、日本人の中でも最も被災地を広範囲に回って走って目にした人間の1人になったのも数奇な運命だと思う。

 テレビの画面では「臭い」わからない。

魚の腐ったような臭いや、薬品、土埃などの臭い。

到着して海岸沿いを走行していたが何時間走っても延々とすべてが壊れてしまっていた。

テレビでは部分的にしか見れない。

 

東京から持ち込んだ食料などを届けたが役に立った量とはいえない。
給油もできなくなっていて他県やひどい時は日本海側まで行って給油して戻るの繰り返しだった。
この経験で 語りたいことはたくさんあるが意図せず誰かを傷つけるかもしれないので
このくらいにします。
 
今はただ 被災者の方々に祈るだけです。
自分で撮影した写真です。