3月11日
東日本大震災から一年が経ちました。
まず始めに…
東日本大震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
そして、まだ行方不明になられてる方の発見を心より願ってます。
私からしたら時間は止まっていたような気がします。
戻ることも前に進むこともできない一年でした。
私はこの震災で祖母とその弟を失いました。
母は毎日震災の番組を見ています。
本当は見せたくないのですが
「大丈夫」
「これ、ちゃんと記憶しておかないと」
母もあの日から前には進めていません。
あの日私は仕事でした。ちなみに私は北海道です。
職場でも揺れを観測しましたが館内も放送も無くきっと何でもないものだろうと思っていました。
しかし勤務が終わり携帯を見ると自宅や両親の携帯から大量の着信履歴があり、これは家族で何かあったのかと電話をかけましたがつながらず駅の公衆電話から自宅にかけ地震は東北で起きていたと聞かされました。
すぐに自宅へ帰ると母が呆然とテレビに映る津波で飲み込まれた東北の街が映し出されてました。
単身赴任中の(道内)父の方でも津波警報が発令され仕事に出ていました。
幸い父の方は被害がなかったです。
私はすぐに祖母と母の姉弟や私の従妹に電話をしましたがまったくつながらなかったです。
すぐにパソコンを開いて情報収集をしてました。
その日は徹夜でNHKの安否情報とパソコンと携帯をチェックしていました。
12日は仕事で出勤して職場でも事情を言って常に携帯を持ち休憩中は片手で食べられるおにぎりを食べながら携帯で安否など探しました。
それからはずっと仕事が終わればコンビニでお弁当を買い家で食べながらパソコンで安否情報を確認し何かあってもすぐに対応ができるように茶の間で2~3時間仮眠を取ってシャワーを浴びて仕事に行く繰り返しでした。
そして次第に電話が回復し始め母の1つ上の姉と連絡が取れ情報交換や避難所や病院の情報など話しました。
そして4月に入り母の長男とも連絡が取れ次男も無事だとわかりました。
4月の頭には仕事の休憩中に四男と連絡が取れそこで初めて祖母の弟の死亡が確認できました。
目の前が真っ暗になり泣きそうなのを我慢し母へ連絡をしその後は職場のトイレで泣きました。
父にも連絡をし「お前も辛いと思うけど。弟(長男と次男)とお母さんを頼む。」
そう言って連絡は終わりました。
時間が過ぎると曖昧な目撃情報が飛び交い一つ一つ調べていきました
しかしどれもデマ情報
だって祖母の近所の方は二軒以外すべてお亡くなりになっていのです。
近所の方が見つかる中祖母は全然見つかりませんでした。
父も落ち着いてこちらへ帰ってきて毎日仮眠と仕事と情報収集の私を見て
「もうパソコンで探さなくていい。辛いと思うがそろそろ覚悟をしておきなさい」
それでも探すのを止めませんでした。
そして4月22日
その日は仕事で帰宅するとき携帯を見たら母からの着信履歴がありかけてみると
「今日おばあちゃん見つかったよ。自衛隊の方が発見して四番目の兄が遺体確認したって。」
絶対人違いだと思いました。
けど
「避難するときにリュックの中に八雲が送ったブランケットの配送伝票が入ってたの」
祖母は避難の為リュックに祖父と三男の遺影とお財布ときっとすぐに身元がわかるようにと住所が記載されてるものを持って逃げたけど間に合わなかったのでしょう。
ちょうど12月にクリスマスプレゼントに帽子とブランケットを祖母に送ったその時の伝票でした。
自宅へ帰る途中何度泣きそうになったか
けど母によると祖母は時間が経っていたのに綺麗な状態で発見されたそうで悲しさ半分あるもちゃんと綺麗に帰ってきたとの嬉しさもありました。
5月に両親だけで石巻へ行って葬式に参加しました。
私も行きたかったですがまだ石巻の状態が酷く弟二人はとてもじゃないけど耐えきれないと思うからと三人で留守番になりました。
8月には全員でお墓参りに行って祖母の自宅と発見された場所を見てきました。
自宅は全壊し何も残ってはいませんでした。
小さい頃に遊んだ庭も花壇も
夜は怖くて行けなかったトイレも
何もなかったです
祖母はそんな自宅の横道のがれきとなった自宅に軽く埋もれていたそうです。
きっと祖父や三男が海に連れて行かれないようにしてくれたんじゃないかと考えてます。
そして8月以降は私自身限界が来たのか一時的に体を壊しました。
まだ調子の悪い日はありますが元気です。
母はストレスからか波がありほとんど何もできない状態です。
本当にあれから進んだ感じがしません。
よく「頑張れ!」って聞きますが
何を頑張るの?
どう頑張るの?
そんな言葉が聞こえました。
多くの人は
大切な家族
思い出の品
帰る故郷
仕事
希望が無くなってどうすればいいのかわかりません
頑張れません。
だから頑張るのではなく
ちょっとでもいい
ほんのわずかでもいい
大きな一歩を踏み出せなくても一緒にゆっくり前を向いてみることから始めませんか?
私達もまだ津波は怖く鐘の音やサイレンや波の音が怖いです
だから一人で頑張るのではなく一緒にゆっくり行きませんか?
それぞれのペースでいきませんか?
うまくは言えませんが「頑張れ」って言われたら一人でしなきゃならない感じがしませんか?
「一緒に頑張ろう」もついて行けなさそうな気がします。(個人的に/すみません)
「一緒にゆっくりいこう」って言われたら同じ歩みで進み立ち止まってしまったらもう一人が先へ行くことなく待ってくれたり励ましあったりできそうです
個人的にですが
私は家族と多くの友達と一緒にまずは前を向くことから始めて行きたいと思います。
時間は凄くかかるのは承知の上です
もしかしたら終わりは見えないかもしれません
けど、亡くなった祖母達の分も生きて行きます!
最後に…
よくテレビで綺麗な町並みが映りますが中には県からも国からも何もしてもらえてない町もあります。
そして、多くのがれきが処理に困っています。
放射能が怖いのはわかります。
けど
そのがれきの奥深くに気付かれないままそこで眠っている方が居たとしたらどうしますか?
自分のお父さんかもしれない
お母さんかもしれない
子供かもしれない
兄弟かもしれない
恋人かもしれない
がれき置き場に行きましたがそこに何があるかは嗅覚や視覚だけじゃわかりませんでした。
もし、そんな中で眠って居るなら早く温かい家族のところへ返してあげたいです
もう一度考えてみてください
放射能は怖い
けど人の根拠のない噂やネットでの書き込みはもっと怖いです
人から人へ最速で感染するものです
実際に受け入れてる県もあります
その県の人たちは何か健康被害ありましたか?
焼却後に数値を計って基準値越えましたか?
よく考えてください
私達は日々の中で自然と放射能にふれています。
大きな核施設はあるところ無いところってありますが自然の中で数値が0なのはどこにもないと思います。
がれきもそれと同じくらいしかないもの。つまり健康被害のない数値のものをただ
「被爆する」
「ガンになる」
「将来が心配」
などの理由で拒否をしていると思います。
けど向き合って見ませんか?
放射能が怖いのは当たり前
放射能が怖くない人なんか絶対にいない
綺麗事って言われますが構いません
なのでよく考えてください
しつこいですがお願いします。
長くなってしまいましたが今日はみなさんもほんの一秒でもいいので亡くなった方へのご冥福と行方不明の方の発見を願ってください。
ありがとうございました。
2012 3 11
八雲