考えたんだけど箱詰め造花って普段たくさん作っても大きいものの場合邪魔になっちゃうよね。だから紙コップに花用スポンジを突っ込んでそこに造花を刺していけば小さい飾りができる!ので、鋭意製作中(^_^)vてかすでに今日で3つ作った!あとで写真撮ってアップします(*^▽^*)Android携帯からの投稿
先日のプリザーブドフラワーAndroid携帯からの投稿先日プリザーブドフラワー的なものを作る宣言をし、昨日材料を買い、完成しました!写真立てもリメイクしました♪♪♪お目汚しになるかもしれませんが、ご覧いただいた方ありがとうございます。
今日やるべきこと今日は企業説明会なのです!おしゃれしていこう!!そしてそてして友達の誕生日の準備もしなくちゃね♪実はプリザーブドフラワーまがいのことをやろうと思っています。ダイソーでボックスを購入し、造花も格安で購入。スポンジも忘れずに。そしてその箱の中にスポンジを詰めて造花を刺していく。色はブルー基調。うまくできたら他の友達にも作ろう!明日はお試しデイですな!うまくできたらここにのせよう。それではおやすみなさい。。。明日のコーディネート考えなくちゃ。
twitterからこちらへtwitterだと文字制限超えちゃうのでこちらに移行。私が芸術に関して思っていること私は芸術が好き。自分で何かを作り出すことも好き。一から創造するってなんかワクワクするしプロセスはどんなに大変であっても完成した時の達成感のほうが大きい。なんならプロセスの大変さだって楽しめてしまう。演劇だって自分から何かを相手に伝えるという普段会話でなら簡単にできる事を表現することで、より深く伝えたいことを考えられるしかも自分からそれを発信できるということが魅力的なんだよね。私は自己満足だけど本を音読したりシナリオ本を立ち読みしたり最近だと、シェイクスピアの「リア王」を買って読んで台詞を音読してみたり感情をそこに込める事はやっぱり難しくて普段私が感じたことのない世界で本の登場人物がこう感じたと記されても私は完全には再現できないそこには私の主観的視点が入ってしまう。でもそれは当り前のことである。誰もが完全に登場人物になりきれたら個々人の個性はその演劇には失われてしまっている。そもそも演劇の楽しみはそこにあると思うのだ。演じる人それぞれが演目の台本から何を感じ取りどう演じるか台詞の切れ目はどこにするか個々人の感性が演技にあらわれる。逆に観客にだってその作品に対して何かしらの主観的考えを持っている。観客と役者の考えの相違がまた新たな感動や発見を与える。観終わった後観客は喜怒哀楽をあらわにしながら劇の感想を言い合う。するとそれぞれ違うとらえ方をしていることに気付く。そこでまた発見がある。演劇の感動と発見はどこまでも続いていく。演劇だけではないということはいうまでもないだろう。音楽だって朗読だって絵画だって写真だって彫刻だって版画だってダンスだって芸術への答えはないのだ。それぞれ思ったこと人それぞれが持った感情こそが正解である。答えは用意されていない。定義されない。誰かが喜劇なのに涙を流してもそれは間違いではなく喜劇の中の悲劇を読みとったその人の感情が正解なのだ。なにも間違いはない。制約はない。芸術は自由だ。そして、果てしない。だから人は芸術に惹かれるのだろう。