沖縄旅行に浮かれていたのも束の間、季節はすっかり
冬になってしまいましたね。
夏はあれだけ灼熱だったのに、ちゃあんと寒くなるんだから
温暖化ってどこまでホントなのか疑問でsu
まぁそんな事は置いといて!
2022年はうちの父方のじいちゃんが生まれて100年!
じいちゃんはなかなか波乱の人生を送ったようで…
まずは100年前の1922年(大正11年)に、長崎県は現雲仙市
吾妻町というところ(諫早干拓湾が見える)に生まれ、
7歳になった1929年(昭和4年)に昭和恐慌が発生。
ここから4~5年の間にほぼ全ての財産がなくなり(推測)
12歳になる1934年(昭和9年)には佐世保市世知原町へ
一家総勢13名で移住している(昭和7~8年かも)
世知原町は当時、炭鉱で栄えており、手っ取り早く稼ぐ
為に向かったんでしょうがそれにしても距離があり過ぎ
るし、移動するにしても赤ちゃんや妊婦がいたはずなの
にその決断をしたひいじいちゃんはすごいと思うしそれ
だけ切羽詰まっていたのだろうと想像できます。
そして19歳になる1941年(昭和16年)に太平洋戦争勃発。
じいちゃんもご多聞に漏れず召集され、21歳になる
1943年(昭和18年)10月、第56師団の通信兵として入隊。
ここまではよく聞く話ですが、入隊から1週間後になぜか
召集解除されている。これは何があったのでしょうか?
何はともあれ、世知原に戻ったじいちゃんは大好きな酒
をかっくらいながら電気技師として働いていた26歳の
1948年(昭和23年)に結婚。父の姉生まれる。
父が生まれた1954年(昭和29年)頃には炭坑の経営が傾き
かけていたらしく、父が5歳になる1959年(昭和34年)頃に
諫早市へ移住。
37歳になったじいちゃんは相変わらず酒を飲んで酩酊
状態で暴れる酒乱っぷりに磨きをかけ、生活費を酒代に
あてて手に入れた戸建を手放したり、自宅で暴れて父の姉
が警察所に駆け込んだり、電気の引込施工で得たお金を
酒一升瓶数本購入にあててばあちゃんを驚かせたり…
まぁそういう話は枚挙に暇がないというヤツで
結局肝硬変で67歳で亡くなったそうなんですが、酒が
好きで肝硬変って行くとこまで行った感があって
じいちゃんやるな~と思いながら聞いてましたけどね。
そんなじいちゃんのお母さん(ひいばあちゃん)の実家
がうちのお墓の近くにあるので、年1回くらいですが今でも
顔出してます。最近はあまり相手にされてない感がハンパ
ないのでボクの代で訪問しなくなりそうですが、
ざーっくり100年続いてんだな~なんて思ってたら
これはすごい事だなと思い至りまして。
この気持ちを分かち合いたいけど、あちらはこっちを
相手にしてないし、ボクの家族はご先祖さんに興味ない
し、一人で噛みしめるしかないのがもったいない
じいちゃんの事で最近気になるのが、じいちゃんの話は
主に父からしか聞く機会がない(父の姉とは仲が悪く話す
事は永遠にない)のですが、記憶の中でも酒乱の話しか
ない。
でもじいちゃん自身はどんな考えを持っていたのだろう。
酒を飲んでない時のじいちゃんはどんなだったんだろう。
電気技師としての腕は良かったらしいから、頭は決して
悪くないはず。良くはなさそうだけど笑
実家に、海でじいちゃんが赤ちゃんの父を抱っこして
笑っている写真がある。爬虫類系の濃い顔立ち。
人が死んだ先にあの世があるなら、ぜひじいちゃんに
会いたい。会って話がしたいですね。
あなたの周りの人(父含め)はみんなあなたが悪いと言って
るけど、あなたは何を考えていたの?ってね!
責めてる訳ではなく、純粋に聞きたいです。
もちろん、じいちゃんだけでなく他のご先祖さんも!
最後に、みなさん霊はいると思いますか?
ボクは一度も見た事はありません。
ですが、「いる」可能性ありますよって話をひとつ。
ボクのばあちゃんは生前、毎朝4時に起きて、デッカイ
仏壇の前でお経を唱えるのを日課にしていました。
とても信心深い人でした。なので、亡くなった今でも
ボクの家族を守ってくれているんだろうな~という感覚
でいます。
あ、だから出てこないのか!!
という事はマジで「いる」のかな…??
お後がよろしいようで笑
ではまた!!!