今日は久しぶりに昔のグラブを手入れしました。
そこでふと思い出したのが、練習前に監督やコーチが自分達がアップをしている間に道具をチェックしていた事。
そこで少しでも磨けていない部分があると呼び出され、ちゃんと磨いてきたか?もっと道具を大切にしろ!と指導がなされる。
この野球に限らずスポーツをしているとよく聞く「道具を大切にしなさい」という言葉。
手入れをしながらなぜ道具を大切にしなければならないのかを考えてみた。
私の現役時代このなぜ?という問いかけには、小学校〜高校までどの指導者も「野球の神様が見ているから」という答えであったと記憶している。
しかし、「なかなか腑に落ちないな、気持ちがもやもやする」というのが当時の素直な考えでした。
その理由としては、本当に野球の神様はいるの?という事。当然野球の神様なるものを見たことはない(試合の流れがあるようにもしかしたらいるかもしれないが)。エラーをした時に道具を磨いていない人がいると、だいたい「道具を大切にしていないから、野球の神様が怒って捕れなかったんだ」と言われる。
エラーした原因を本当に野球の神様に帰属していいのか?「エラーをした理由は、お前の練習不足、練習をもっと頑張ろう」と言われた方が腑に落ちるのではないか。エラーの原因を帰属させられる野球の神様もさぞ心苦しいだろう。または、道具を磨いている人がファインプレーをした時は、野球の神様のおかげなのか。
ファインプレーは日頃の努力の成果ではないか。選手からすると努力を無視され、野球の神様が捕らせてくれたなと言われるより、普段の頑張りが実を結んだなと言ってもらえる方がモチベーションの向上に繋がるのではないか。
ではなぜ道具を大切にしなければならないのか。
私の個人的な意見としては、物を大切にできない人は、人の心も大切にできないからではないかと考える。どんな物でも作っている人がいる。自分が精魂込めて作ったものを粗末に扱われて、喜ぶ人はいないだろう。また、一生懸命働いて子供に買い与えたグラブが粗末に扱われるのを見ると、誰しも悲しさに心を支配されるだろう。そういった人の気持ちに考えを巡らせるために、道具を大切にしなければならないのではないか。