僕と君と猫の話。

僕と君と猫の話。

強く、美しく。そんな生き方を小さな物語で。
「僕」と「君」と「猫」、そして「彼女」の登場人物で描く、深く読み込むと切ないばかりの詩集。

女優を目指し、喫茶店で働く主が、詩集の下書きに利用しているブログです。

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死ぬのをやめようと思ったことは、ない。


保育園のとき、
なぜかずっと、人に嫌われていた。
「Sちゃん(私)といちゃダメ!」
と誰かが言い、
誰かと仲良くすることは"いけない"ことなんだと、その時に覚えた。


家にいるとき、
父方の祖父母と、両親と姉妹の中で育った。

私は、母が大好きだった。
そして、祖母が大好きだった。
父も祖父も姉も妹も。

祖母は母を嫌っていて、
自分の大好きな人が、大好きな人を嫌う光景は、ほんとうに見たくなかった。

だから私は、母を誰よりも好きでいたかった。
大好きと毎日言った。
「私はお母さんのことが大好きだから、大丈夫だよ」と心をこめて。

母は、私の好意を嫌った。
「わたしのことを、二度と好きと言わないで。私はあなたのことが嫌いなのに」と。
それでも好きと言う私に、
母は笑わなくなり、私は二度と「好き」と言えなくなった。


小学生のころ、
嫌われる悲しみを、初めて知った。
「みんな、友達がいるんだ」
「みんな、家に帰ったら会話をする相手がいるんだ」
羨ましくて、そして自分にはどうして、そんな相手が居ないのだろうと悲しくなった。

私は会話が上手くできなくて、
「無口」と言われた。
登下校の時間、必死で話す内容を繰り返し覚えて、練習した。

「あのね、きょうは、いいてんきだね」
その言葉を、必死で、繰り返した。

やっと言えても、
けれど、それを言うと返事がくる。
そのあとは、考えていなかった。
会話ができなかった。

自分は皆と違う、と
そこで感じた。
とてつもない、悲しさだった。

初めて、「死にたい」と思った。

でも、
私が死んだら、学校の手続きとか
お葬式とか、母に迷惑をかけてしまう。
嫌われてしまう。

その理由が、「死にたい」を止めた。

私は、
会話をしないまま、
うまく皆に馴染もうと決めた。


中学生のとき、
突然友達がいなくなった。

みんな、それぞれのグループを作り始めたからだ。

私はどこのグループに入れてもらえるんだろう?
そう考えていたら、結局一人になった。

そしてイジメが始まった。
私ではない、誰かへのイジメ。

どうして私をいじめてくれないんだろう。
どうして私じゃないんだろう。
私は存在すら、ないのだろうか。
ここに、存在しないのか。
どこにも、存在しないのか。

勉強、部活、
それだけを生き甲斐にした。

私はどこにもいない。
でも、やることをやっていれば、
なんとなく生きている気がした。

それでも小学生からの「死にたい」気持ちは消えなかった。
毎日襲いかかってきた。
毎日布団の中で泣いた。
何度か、自殺直前までいった。

でも、"迷惑をかける"が止めてくれた。

じゃあ、"迷惑をかけないように死ねばいいんだ"。いつからか覚えていないが、毎日その答えを探し続けた。

死んだことが分からないよう、山奥で死のう。
とか

学校を退学にしてもらって、面倒な手続きをしなくて済むようにしよう。
とか

でもどれも難しかった。

そして分かった答えが、ひとつ。



「みんなに嫌われて死のう」



そうすれば、生きている理由だった「死ぬと、みんなに迷惑だから」がなくなる。

嫌われものが死ねば、
みんな喜ぶ。
喜びの中だったら、面倒なことも楽しく解決してくれる。
"わたしが死ぬことで、みんなが笑ってくれる。幸せになってくれる。"

やっと見つけた答えだった。

私はテストを白紙で出した。
ときには、一部正解を書き、他はすべて間違えた解答をした。

部活では、できない奴を演じた。
思い通りに動いてくれない奴を演じた。

家のお金を盗んだ。
アルバムの写真を破いた。
家具を破壊した。


(おねがいだから、
おねがいだから、
嫌いになって。
私を嫌いだって言って。)


そうして高校生になり、気づけば20歳をすぎていた。



つづく