毎週毎週、病院へ行く。

もうルーティーンのようになってしまった。
今日も慣れた手つきで機械にカードを通して受付票を発行する。





待合室の椅子に座って呼ばれるのを待っている時間が、初めは苦痛だった。
ピシッと椅子に座っていることができなかった。

もう今すぐ横になりたい。
家に帰りたい。

いつもそう思っていた。

ここは病院なのだから、倒れてもすぐ対応してもらえる。
それでも私は家に帰りたかった。とにかく自分の家に。自分の部屋に。
家の安心感は本当に半端ない。






周りは学校に行っているのにどうして私だけこんなところにいるのだろう、と虚しくなった時もあった。

今でもたまに、それがちらっと顔を出す。






何度も先生の話を聞いたり、薬を試したりしたせいで、体や薬の知識だけがついていった。

漢方の長くて難しい名前も、他の人よりはスラスラ言える自信がある。

医療系のお仕事がしたいということもあって、そういう知識が増えるのは良いこと(?)だけれど、今1番欲しいのはそれではない。







受付票をぐしゃぐしゃに丸めて捨ててやろうかと思った時もある。

この数字の紙をあと何度見ればいい?
いつまで病院に通ったら治る?

そんなことを考えていたら嫌になった。

だけれど、看護師さんに見せる時に恥ずかしいからやめておいた。
丸める勇気すら、私にはない。







最近は、椅子に座ることが苦ではなくなった。

もちろん日にはよるけれど、圧倒的に少なくなったと思う。
それから、感覚が麻痺し出したのか1時間待ちでは長いと思わなくなった。
むしろ1時間で終わってラッキーという気持ち。ディズニーの1時間待ちは短い!みたいな、そういう感覚だ。

大きな病院では特に、待ち時間が長い。 
3時間以上待ったこともある。その時はコナンを3巻も持っていったのだけれど、呼ばれる前に読み終わってしまった。







何より、小説が読めるようになったことが大きい。

待ち時間は、大体寝るかスマホを見るか漫画をちょっと読むか、の3択だったのだけれど、今では大体小説の世界に没頭している。
呼ばれると「今良いとこだったのに!」と思えるほどだ。

その反面、本を忘れた時は絶望的。







まだまだ毎週病院に通う日々は終わらないと思う。

だけれど、長い目で見れば私はきっと成長しているし、元気になっている。

待合室で受付票を握って待つ時間が、あんなに辛かった時間が、こうも簡単に耐えられるようになったのだから。







大丈夫、私は大丈夫。



病院に毎週通わなくても良い日だって、ちゃんと来るはずだよ。