このブログを開いてくださった方、ありがとうございます。

2回目のブログでは、現在18歳の女子大生の私が高校1年生の時になった適応障害について、その経緯をお話しさせていただきたいと思います☺️

突然学校を休みがちになり漠然とした不安に襲われている高校生の皆さんや、

急なお子さんの変化に戸惑われている親御さんやお友達、

担任の生徒への対応に悩んでいる先生方に少しでも適応障害について知っていただけると幸いです🙇‍♀️

高校1年生当時の自分を今振り返ると、
自分はすっごく「完璧主義」だったと思います。

それまで遅刻や欠席はもちろん、課題の忘れや遅れは最低限であり、
自分にも(他人にも)厳しいストイックな性格で😥

親が先生と面談をすると「娘さんは真面目でよく頑張っているので何もいうことはありません。」とよく言われるような子供でした😌

しかし、このような「よくできた生徒」というイメージが自分を苦しめていたのだと、今考えるとすごく思います🥲


発端は中学3年生だったと思います。

私の通っていた学校は中高一貫で、SDGsやボランティア活動が活発に行われていました。

わたしもやりたい!とおもい中学2年生の頃に様々な活動を始めたのですが、中学3年生で一度、息を切らしてしまいます😞

私の苦手であった理系分野が忙しくなり始めた中学3年生の終わり、「模擬国連」というものに参加し始めた私は日々睡眠時間を削って勉強や活動、さらに週3回の体育会系の部活に打ち込んでいました。

体力が尽きたのか軽く体調を崩し、人生で初めて「(自称)学校をサボる」経験をしました(睡眠不足だったのかその日は夕方の17時くらいまでぶっ通しで寝ていました笑)。

実はこの日の前日、やることがあまりに多く私は恥ずかしながら親の前で号泣していました笑(泣きわめく、の方が正しいかもしれないです)

そして翌年、高校一年生の春にコロナウイルスが蔓延しました。

大好きだった部活もなくなり、大好きだった友達ともなかなか会えなくなり、自宅で黙々と課題をする日々。

当時の私の中ではコロナ禍での想像以上のストレスと、もっと活動を頑張らなきゃ、勉強を頑張らなきゃ、などといった自分を縛り付けるほどの必要以上の向上心でいっぱいだった気がします😔

ここからはあまり覚えていないのですが、10月くらいから、自分が追い込まれた時にだんだんと軽い自傷行為のようなものをするようになりました。

カッターなどを使うほどの勇気はなく、ただひたすら何十分も自分の太ももをこぶしで叩いていました😔

泣きながら何度も、あざになって歩く時に痛むほどまででした。

今考えたらそんなに痛いことをどうして…と思いますが、当時は無心でした。

ただ痛みによって苦しみを発散させ、何も考えたくなかったのだと思います🥲

親にもすごく迷惑をかけました。なかなか泣かなかった母が私の前で泣くようになりました。申し訳なさや様々な思いで胸がすごく押し潰されるような気分でした。

そして、母の「そんなにつらいなら休んでいいよ」という優しい声かけから、高校一年生の秋に初めて5日ほど連続で学校を休みました。そして、私の休みがちな高校生活が始まり適応障害との戦いが始まります、、。







時間の都合上この先は次のブログで更新させていただきます。またお会いしましょう💤