自分が住むドミニカ共和国をはじめ、米国などキリスト教圏の人たちは
子供の名前にxxx Jr.と親(特に父親)と同じ名前をつけている子供が多い。
これは名前に聖書や聖典から取るケースが多いのと日本ほど名前に
意味をつけるバリエーションがないからです。
(実際ドミニカでも同じ名前をもつ人はかなり多い)
日本語は特に名前の音ではなく「漢字」があるために名前にかなり豊富に
意味をつけることができる特殊な言語だなと思ったりします。

そういうこともあり、自分の下の男の子が産まれた際に
名前をつける際に家族から「xxx Jr(自分の名前)」にすれば?と
言われたことがありますが「それはない」と即断した経験があります。
子供の人生は自分とは完全に別ものだからです。

子育てでそこそこ成長してきた子供に対して意外と大事だなと
思うのが子供との距離感。
「子供の人生と親の人生はあくまで別のもの」であり、
親が子供に依存してないというのは大事だなと。
親は一定の責任などは持ったり、機会を与えつつも
子供とは適切な距離感を保っておく。
子供が何かを一生懸命にやっている場合、それに対して必要な協力をしてあげながらも
「最後は本人の問題」であり、親が主役ではないことをきちんと
理解している。
そう接することで子供にも自己責任を身につけて欲しいです。
ドミニカでも話していると子供のことなのに
親が主役みたいな言い方するなぁ、という人がいる一方で
周囲を見ていて「あぁ、この人たちは感じいい親だな」と
印象を受ける人たちに共通しているのはこの子供との距離感をうまく
取れている人だなと思います。

自分の両親は自分の教育や教養の機会などを与えてくれたものの、一方で
自分や自分の兄弟に全く依存しておらず、子供の人生と親の人生は別、
を徹底していた人達でした。過度の干渉をうけた記憶もなく
今自分が親になって思うのはこの「距離感」はとても大事だなと。
両親は教育に携わる仕事をしていましたが、
勉強をしろ、なども言われた事がなくどちらかというと
「勉強は自分のためにするもの」とよく言っていました。
今ぐらいの年齢になると痛感するのは勉強は一生続くものであり
いくつになっても新しいことを学ぶ意欲がある人は魅力的にうつるものです。