朝起きるのが早い自分と娘、週末は幼稚園がないため自分が
朝に着替えをさせることが多いですがその時に必ずしていることは
その日に着る洋服や下着を自分で決めさせること。
悪い組み合わせの服を
選んでしまってもその日は口出しをしないと奥さんにも話しています。
幼児だとその生活のほとんどの選択は親がすることになりますが、
それでも自分の人生においても「選択権はある」、
ということを簡単なことから刷り込ませていく作業です。
絵本を読んで欲しいと言う時も読みたい絵本は自分で
選ばせる。

コロンビア大学の教授、シーナ・アイエンガーが著した「選択の科学」。
この中では移民の子供、マイノリティーとして米国で育った彼女は
米国の選択を学ぶ機会が創出されている世界に興味を持ち、
その後大学の研究室で「選択」する力を機会を持つことがどのように
人に影響を与えていくかを数々の実験や検証で得たものの例を色々示して
いますが、とても興味深い話が語られています。

「選択」すること、何か簡易なものから自己決定権を得ていくことは
成長の過程で他人への依存心を下げていくためには重要かなと思います。

いくつかの文献を見ている中で、また日々周囲を観察していて思う
ことは依存心と選択権はかなり密接な関係があるということです。
依存心が高い人に共通しているのは「自分は選択の余地がなく仕方なく(他者が決め
たからそこに従わざるおえない)」という思い込みが強いこと。
もしくは脳内でそのようにごまかす癖がついていること。
人の脳というのは、我々が理解しているよりも実は、かなり誤魔化されやすく、
それは他人からだけでなく自分自身でも色々な事実から目をそむけて、
誤魔化しを、「ごくごく日常的に」行っているものです。
(ちなみに自分で脳内をごまかすことは、進化の過程で人が身につけてきた
能力のひとつで一概に悪いことばかりでなく、うまく脳内で使いこなすことで
健康などのために「良い誤魔化し」というのもあります。
心理療法の中ではトラウマの治療などでも使われたりもしますが
ここでは長くなるので割愛)

日本の社会ではこの「決定」を苦手としている人がとても多いですがこれは
日本教育の場で決定をしたり、自分の意見を伝えたりすることを学ぶ機会が少ない
からかなと思います。

「選んで決める」、という行為は意外と難しい、またそこには責任も伴います。
ビジネスの場でも「こうしていこう」と決定していく作業はそれなりに
エネルギーを使いますがこれは、できる、できないは能力の差というよりも
後天的なもの、つまり「場数」により身についてくるものだと思います。
選択や決定に慣れれば今度は「トレードオフ」などの考え方も自然に身につきます。
日本のビジネスマンの中では優秀だな、と思う人はいてもこの
「決定作業」ということになると途端にできなくなる、
もしくは選択したからには責任も出てくるということを理解していない、
という人は多いですがこれは学校という教育の場であまり経験の場がなく
社会に出てしまっているからかなと。



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DeNA創業者  南場智子・著「不格好経営」より

(マッキンゼーのコンサルタントから事業経営者としての転身で)
私が何に苦労したか。まず、物事を提案する立場から、
「選択して決める」立場への転換に苦労した。
面食らうほどの大きなジャンプだったのだ。

コンサルタントとして、A案にするべきです、と言うのは慣れている
のに、Aにします、となると突然「とんでもない勇気」が必要になる。
コンサルタントの「するべき」も判断だ。しかし、プレッシャーの中での
経営者の意思決定は別次元だった。「するべきです」と「します」が
こんなに違うとは思わなかった。

実際に事業をやる立場と同じ気持ちで提案しています、と言うコンサルタント
がいたら、それは無知であり、おごりだ。本当に優秀なコンサルタントは、
間違った提案をしても死なない立場にいるからこそ価値のあるアドバイス
ができることを認識している


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