日本語ではひらがなやカタカナ表というものが存在しますがこれを
子供が読み始めた当初、隣で見ていて最初に「これどう教えたらいいのかな?」
全く分からなかったのが伸ばす「ー」文字だったり小さい「つ」とかの
読み方。自分が子供の頃、どう理解してきたのかも覚えてません。

幼児の言葉の獲得、という分野では
ネットでもこういう情報はほぼ皆無、日本で生きていてこんなこと
疑問に思う人はまずいないので仕方ないかなと。
そもそも幼児がどのようなメカニズムを経て「言葉」を獲得していくかは
まだ科学的にも解明されていません。

多少の研究は進んでいていくつかの大学院での発表は
ありますが、まだまだ数は少なく、学問としては確立されてないのです。
多くの機関が難しいとしている理由はサンプルの抽出が少ないからというのが
挙げられます。海外で生きていてその国と異なるネイティブ言語を教えるという
サンプルが極端に少ないからです。母親側がネイティブなのか、父親が
側がネイティブなのかでは比較することができないですし、またその他の
各サンプルの環境の違いも幅広い傾向になりがち、
など難しい課題が多いのが原因とされている。

「語学学習」とは根本的に違いますので、日本語学習
の本の内容を教えることとは異なります。どちらかというと
概念獲得と音領域、というのが自分のイメージに近いですが
(子供の耳が5、6歳まで聴覚力が優れているのもそのため)
書籍やマニュアルがあるわけでもないので、手探りで色々試しているうちに
分かってきましたが
結論としてはこれは平仮名表で覚えるものではなく絵本など何らかの
文と共に覚えるのが効率的と思いました。

絵本というのは数ある幼児コンテンツとしても
一番優れものかな、というのが個人的な印象ですが、文章は
アイウエオ表が読めれば読めるというものでもなく、
この段階で重要だなと思うのは、読み始めた段階で
どの程度の「概念」を獲得しているかが大きい印象です。

「おたまじゃくし」という言葉が出てきた場合、
長い上に擬音や濁音が入るために全くこの「おたまじゃくし」という
言葉を聞いたこともない、写真でも見たことががないと
いう「おたまじゃくし」の概念が全く頭にない
状況だと仮にアイウエオ表を理解していても
読むのに苦戦してしまいます。
こういう状況がたくさん続けば読むのが嫌になってしまうかなと。

一方で図鑑や動画などで一度でもオタマジャクシを
見たことがあったり、何度かでも「おたまじゃくし」という言葉を
発したことがあると、この言葉を1文字1文字読むのではなく
ひとつのカタマリとして読むことができます。

例えば「おたまxxくし」という言葉が目に入れば、「じゃ」が
読めなくてもすぐに「おたまじゃくし」と
連想されるので文章そのものは読める、という感じです。
読んでいるうちに「じゃ」を見たときに自然に読めるようになる。
「ほどうきょう」「おうだんほどう」という文章が出てきたら
一度でも歩道橋を歩かせてみると概念を獲得してスラスラ
読めるようになりますし、良い方法かなと。

このカタマリを読むことが文章を音読する際のキーなのかな、
とか、前出の「ー」伸ばすひらがな、や「っ」の部分を
読めるようにするコツ、みたいなことに気づいたのが
結構発見でした。
英文の長文読解の勉強をしたことがあれば分かると思いますが
長文のスキルを高めるのにやる方法と全く同じです。
言語というカテゴリーは同じなので当たり前と言えば当たり前かも
しれませんがこういう発見も面白いです。

子供の話ですが大人の世界でも基本的にこの延長線上にあります。
文章は最終的には文字を一文字づつ読むのではなく「大きな塊を読む」
ものです。よく大人の読書の世界で、速読という言葉があり、
その中でも斜め読みとかそういう言葉もありますが
速読できる人は文字を早く読めるとか、本当に斜めに読むとかではなく、
「大きなかたまり」を読める、その塊の大きさが人より多い、
(=積み重ねてきた基礎的な知識量が人より多い)
というのが速読の正体だったりします。

読書が苦手な人でも自分が好きな分野、得意分野なら多少は早く読める
はずです。それは細かいことは多少飛ばしたりしてもそのページで
大枠で大事なことはすぐつかめる、「要するにこういうこと」という
そのページの「抽象化」ができるからです。
この抽象化する能力、
逆に抽象化から具象化への往復できる能力というのはとても
「人らしい能力」の代表かなと思っています。
脳の抽象度を上げ下げできる力があれば、様々な情報を処理する力が
できるし、逆に話していると具体化したものしか理解できない人、
というのがいますが、こういう人は
今の時代は活動領域、情報領域がとても制限されるのではと思います。