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キューバの英雄というと「チェ・ゲバラ」ですが旧市街
にある革命博物館に行くと多くの革命の道筋をみることができます。
本当に見所が多かった旅ですが今日はそのうちのひとつである
革命博物館について書きます。
ちなみに自慢じゃないですが相変わらずのスペイン語力のなさで
訳読は全然する気がおきなかったので本当に雰囲気だけなんですが
それでも楽しむことができました。
写真を添付しますが一番好きな写真が下から2番目のジャングルの
中をゲリラ部隊を率いて進行するゲバラの映像。
これは事務所の机の前に張り出張の時などは「このゲリラ戦の
つもりで契約をとりにいくぞ!」とモチベーションを高めている。
ちなみにゲバラとカストロが出会い、バチスタ政権打倒のために遠征の旅
に出たのがちょうど28歳で自分と同じ年だったのだと思うと
すごいエネルギーだなと感心する。

一番印象的なのがカストロとゲバラが決別する時で
博物館の映像と共に赤字で解説が描かれている。
2人はバチスタ政権を崩壊させてから社会主義のソ連と共に
キューバの政治を作ってきたが62年のキューバ危機で
資本主義と社会主義の一揆撃ちとなった際に
アメリカの圧力にソ連の当時の大統領が屈してキューバに
相談せずに持ち込んだミサイルも兵力も引き上げ、
キューバに対しては工業よりも農業に力を入れるように
注文をつけたのである。

2人はソ連のやり方に激怒したが、キューバ人として祖国の
革命と生活の防衛を優先せざるおえないカストロの現実主義と、
アルゼンチン生まれの幼き頃から放浪の徒で、中南米や世界革命
を第一に考えるゲバラの理想主義が2人を決別させることに
なったのだと。なんとも皮肉な話であるがこのゲバラの人生の
中で自分が一番興味のある場面でもある。

65年にゲバラはカストロへの有名な決別の手紙を残して
キューバを去ったが
「世界の他の国が私のささやかな努力をもとめている。キューバの
指導者としての責任から貴方なら拒否せざるを得ないことを、
私ならやれる。別れの時がきた」と述べている。
この手紙は博物館でも見ることができる。

彼はその後、アルジェリアやコンゴなどアフリカの地でも革命行を
続けたが中南米とは違う食料、文化などに苦戦して体調を壊したという。
最後は中南米に帰りボリビアの地を戦場として選んだが
ここがゲバラの最後の戦場となった。
捕らえられて最後に撃たれる瞬間に英雄を相手にひるむ
狙撃兵に向かい「撃て臆病者め、ここにいるのは英雄ではなく単なる
捕らえられた小人物である」と叫んだのは有名な話。(かっけぇー)

20世紀最後の革命兵士の旅はこうして幕を閉じたが今でも
世界中の人間の心を捉えて話しませんよね。自分もキューバにきて
ゲバラという人物がさらに好きになった。
それは彼が21世紀、現在に生きる我々のためにその日を懸命に
生きて、自分が掲げる理想のために戦ったこと。人は生きていると
いつからか自分の理想から目をそむけて小さな現実の中で
小さな自己完結をして生きていくのかもしれませんが彼は
そうしなかった。最後まで理想を追い全世界に自分の精神をうったえて
未来のために戦って死んだ。
そんな彼の姿に自分達は憧れるのだと思います。

自分も無粋な言い方をすると最後まで懸命に生きて後悔しない
人生を歩みたいというのをこのゲバラの話をしていて考える
今日この頃です。
気持ちとしては常にこの下から2番目のジャングルの中を進む
ゲバラでいたいです。