出張のついでに山中温泉に一泊、早朝、芭蕉と曽良の旧跡を訪ねてきた。
芭蕉の筆跡だという「奥の細道」の一節が石碑にあった。
 
芭蕉と同行の曽良は、江戸を出発して数ヶ月の後、奥州をめぐり、越の国から北陸へおよんで山中温泉に9日間滞在している。

芭蕉(はせを)は、山中温泉を賛美し敬意を表して

山中や菊はたおらぬ湯の匂

という句を残しているので、
これを発句として、金沢や小松の「遊俳」の人たちと歌仙を巻いたことだったろう。
どんな歌仙だったのか知りたいものだ。

9日の滞在の後、同行していた曽良が病気に罹り一足早く帰ることになる。
石碑にはこうあった。

・・・・・・・・・・・・・
曽良は腹を病て いせのくにに長島といふところにゆかりあれは先立て行に

いきいきてたふれふすとも萩の原 曽良

と 書き置たり 行もののかなしみのこるもののうらみ雙鳧(そうふ)のゆわれて

雲にまよふかことし予も又

けふよりは書付消さむ笠の露 
 
・・・・・・・・・・・・・
書付消すとは、笠の「同行二人」の文字を消してこれからは一人になるということであり、笠の露が涙を表しているようにも思える。
 
私もその元禄二年320年前に思いを馳せて、現地の投句箱に投句した。
やまなかの苔むす渓やそらばせを
小さき滝落ちてふたりの別れかな
 
そして帰ってからは、次の句も得た。
やまなかのはせをとそらやつりしのぶ

俳句は面白い。
300年も前の芭蕉の詩に、私が思いを馳せて同じ言葉で詩をつけるのだから。

ただこの句は誰も採ってくれなかった。