ある先輩ブロガーから、「井上ひさし著の「四千万歩の男」(伊能忠敬の本)を

読んでいて、 暗き夜や月を並べて長ばなし と、出て来て、なんでも当時の

俳人の野々口立圃の作だそうだが、「なぞかけ」みたいな句ですね。」と、

コメントが入っていた。


さて困った、一読して読み解けない。


何らかの返事をしないと、俳句に造詣が深いですね、などとおだてられた手前

引っ込みがつかない。


野々口立圃をネットで調べると、江戸初期の松永貞徳門下の俳人で1669年

没とあるから有名な俳人であったろう。

天も花に酔へるか雲の乱足  野々口立圃 という句の紹介があったが、上掲の

発句の意味は分からない。


そこで、俳句や連句(歌仙を巻く)ことの好きな、このブログで時々登場する

「小筆の君」に、読み解いてほしいと尋ねると早速に返事があった。

 

「俳句」という呼び方は、明治になって正岡子規が提唱したもので、それまでは

俳句という言葉はなかった。

それまでは、連句の第一句の季節を読み込んだ五七五の句を独立させて
「発句(ほっく)」と呼んでいたのだ。


芭蕉の「奥の細道」には、同行した曽良の句を入れて62句あるそうだが、

殆どがその土地土地に逗留して連句会を開き(歌仙を巻く)36句とかを

詠み継ぎながら交遊した。その発句が、今は俳句と呼ばれて残っているのだ。


野々口立圃の師匠の松永貞徳も芭蕉も、連句の宗匠を生業としていたのだ。


さて、その前段があって、「小筆の君」のお答えである。


「連衆が月の句を持ち寄って、ああでもないこうでもないと

 長話をしているのでしょうかねえ?」 

ズバリ、見事! 正解と直感した。


これだけでは、連句の作法を知らない方には分からないだろう。


ごく簡単にルールを言うと、標準的な歌仙(連句)は36句で一巻とし、

第一句を発句(575)第二句を脇と言い77、第三句を第三(575)と

詠み進み、36句目を挙句(あげく)というのはご存知のとおりだ。


懐紙を四つ折にして記録したところから表六句をはじめとし、十二句、

十二句、六句の4部構成になっていて、その部ごとに、月・花の句を読む

定座があり、発句の季節によって季節や雑の句を読むよう指定される。

恋の句も所々で指定される。そして、即吟して座を進めるのだ。複雑な

ルールだから、座をスムースにテンポよく進める「捌き」という役割がいた。

 

さて句意であるが、暗き夜や月をならべて長ばなし 


歌仙の座で、月の定座に差しかかり、月の句をいろいろ並べて長話をしている。

暗き夜とあるから、折りしも無月(曇って)や雨月(雨で)折角の中秋の名月が

見えないから、その分、月を並べてみたというのではないか、と思ったのである。


いかがであろうか、一応筋が通ったと思えるが・・・。

しかし、ちょっと合点が今ないのは、なぜこのような句の話が出て来たのか。


伊能忠敬が、50歳で隠居しそれから暦学天文を江戸にでて学び、更に一念

発起して奥州から蝦夷地を始め日本国の測量を始めたのがなんと56歳。


それから、74歳でなくなるまで20年近く歩き詰で測量し日本沿岸全図を作り

上げたというのだから、尋常でない真面目な努力家と見える。

そんな、伊能忠敬と連句発句との関わりが見えないし、測量とも関係なさそうだ。


どんな場面でこの発句が出てきたのか興味がある。