有馬 朗人    ペンギンの一羽おくれし春の月 

   有馬氏は存命でご立派な俳人である。私が俳句を始めた時、この方が東大の学長で文部大臣もやった学者であったとは知らなかった。俳句は兼業できるのだと思ったものだ。 


夏目 漱石    董程な小さき人に生れたし 

   俳句を始めるまで、漱石は、正岡子規と親友であり俳句をともにしたということを知らなかった。


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作家、小説家、詩人、画家に俳句を作っているのはかかわりの大小はあれ多い。


芥川龍之介   木枯らしや目刺に残る海の色 


与謝野晶子   盗人に宵寝の春を怨じけり  


与謝野鉄幹   妻がきぬ雛(ひいな)のきぬも盗まれる 


浅井 忠     雪の日に絵師尋ね来る絵師の家  (パリ近郊グレー村)


森 鴎外     灯火を消すや火桶の薄あかり  


幸田 露伴    星一ツ飛ぶや夜寒の鍛治の音


島崎 藤村    山いくつ越えて行らむ春の雲


坪内 逍遥    願わくば朧月夜の落椿


北原 白秋   竹林の冷かに子と坐つてる


伊藤左千夫   三保に渡る舟の日傘や揚雲雀


吉川 英二   海明り障子のうちの水仙花 


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高村光太郎  ドナテロの騎馬像青し春の風

高村光太郎は、俳句は60句しか残してないそうであるが、

詩作において俳句の持っているものは大きいと評価している。


俳句の本質、特性を次のように捉えている。いわく、 

・言葉の比ひなき鍛錬        ・ひびきの高度のピッチ

・曲折力に富んだ句脈の斡旋    ・尋常を超えた着手の性質

・詩精神の厳しさ 


こんな人達も一句ひねっている。
 

三遊亭円朝   見よがしにあかるみへ出る踊りかな


寺田 寅彦    今そこに居たかと思ふ炬燵かな (奥さん30才で没) 


豊臣 秀吉    春の日や日永の宿の霞酒


徳川 慶喜    我為の五月晴とぞなりにける  

高濱虚子が添削した一句である。  慶喜はこの添削にうんと言わなかったそうだ。

むしろ、次のような和歌を詠んでいて、この方の心境はよく分かる。

将軍職は、1年間だけ。

33歳で隠棲し、75歳まで生きたのだから・・・・。
 

この世をばしばしの夢と聞きたれど思えはながきつきひなりけり