高濱虚子の忌日は、4月8日であったが、偶然にその前後に図書館で「虚子俳話」
という本を手にし読んでいたことになる。

今年は虚子生誕135年、没後55年になるが、彼が創設した「ホトトギス」は、
「吾輩は猫である」の発表の場以来俳誌としても俳壇としても最大の勢力をもって
今に続いている。

虚子自身も生前、「歌舞伎や能楽と同じような伝統の重み」があるといい、有季
定型、花鳥諷詠、客観写生を金科玉条として守り続け伝統を残そうとしてきた。

虚子が子規に「俳」という字の意味をどう考えるかという質問をした際の子規の
答えを「虚子俳話」で書いている。

「おまえも知っておいでるとおり「俳諧の発句」つづめて言ったのだ。「俳」の字が
なくってもよいというなら、何も「俳句」といわなくてもよかろう。外の名称をつけた
らよかろうではないか」

虚子は新傾向に対して俳句という名称を創った子規の言葉を紹介して、原点に
戻ろうと説いている。

伝統俳句を守るということは、保守に逃げ込み安逸をむさぼるということでなく、

「深は新なり」 と、言い、
「俳句の交わりは、人生に於いて人生を離れた自然と共にある交わりである。
俳句の交わりは君子の交わりである」
とまで虚子は言っている。

俳句初心者である私でさえ、鬼鬼たる虚子の執念を感じ思うところがある。

絶頂にあらば散るてふ桜かな  誠一郎