還暦の記念に俳句を始めたからもう6年目になるか。
一日一句を心がけている。

最近は図書館の利用を覚えたので、本やCDは図書館で借りて
図書購入費をゼロにしている。
日本一利用者の多い岡山県立図書館からインターネットで借りて
住んでいる近くの図書館が窓口で貸し借りするので便利だ。

新刊ばかりの本屋と違って、本棚やパソコンを眺めていると本屋
にはない本や絶版の本やまず買うことの出来ない高価な図版の
ある本などに巡り会える。

自分で発見するのも楽しいが、例えば、白州次郎、白州正子関連の
本を探してくれという注文に対して、田舎の図書館でさえたちまち
10数冊の本を整えてくれる利用の方法もある。
税金を払っているという満足感に浸れるというものだ。

さて、標題の高濱虚子だが、俳句という言葉を創った正岡子規の
朋友であり理解者であり後継者であった。戦後まで生きて、
文芸春秋他に多くの
晩年の俳句についての発言を残している。

「虚子俳話」という本を見つけ読んでいるが、つまるところ説は
3つに要約できる。

季題季語を働かせない句は、俳句ではない。
五七五という定型で森羅万象を表現することに意味がある。
日常の自然の移ろいを詠うことに俳句としての命がある。

正岡子規との松山弁の会話が蘇っている文章もあり、
「俳句」が始まった頃の原点を思わせるのである。

子規は有季定型で行けば、早晩俳句表現は行き詰るかも
しれないと言っているが、虚子の信念に支えられて子規没後
100年を超えてなお、俳句は脈々と花鳥諷詠を行なっている。

ほつほつと日当たりながら初桜  誠一郎