昭和47年に、33歳で途中入社したベテラン機械整備士が退職した。

昭和14年生まれだから、67歳である。在職34年になる。

 

零細企業にとって熟練技術者は年令を問わず貴重な存在だから、雇用延長に

延長を重ねこれまで勤めてもらった。

 

前職はバス会社の自動車整備士であった。

農業にもトラクターの本格的な普及が始まり、多気筒のディーゼルエンジンが分る

技術者が欲しかったので、たまたま兼業農家でお客様であった彼を引き抜いたのだ。

 

彼はいわゆる職人によくある言葉数の少ない、ヘンコツで一本気な男であり、

応用の利く技術力は一級であるが、社内一の力持ちでもあった。

大きな機械を整備修理したり、溶接作業などの場合、以外に「力」が必要なことがある。

彼の手はまるでグローブのような手で、握力は100キロを超えていたし、それで

いながら手先は器用なのである。

 

父親からの遺産で岡山市街に近いところに広い田畑を所有しており、開発に

かかって手放す場合は、それに倍する代替の農地を購入していたから、社内随一の

資産家でもあった。

それでいて、昔の農家がそうであったように、生活は極めて質素倹約、性格は奢らない

生真面目な男なのだ。

 

まだまだ、体力が続く限り働いて欲しいし、まだまだいけると思っていた。

が、突然の退職表明だったのだ。

 

退職を決断した理由は、一緒に作業していた部下が作業中にケガをした、その監督

責任をとってのことだという。

しかし、現場監督でも、ケガをした作業を一緒にやっていたわけでもなく、同じ部署の

その現場にいたベテラン最年長者であるに過ぎなかった。

事故は、起こした本人の不注意からくるものであった。

退職を慰留したが、「私がついていながら・・・」と頑なであった。

 

15年位前に、退職した彼が危うく一命を取り留めたが、重大な人身事故を起こした。

ドラム缶を縦に二つに溶断する作業をしていた時、ドラム缶が爆発し、団地内の誰もが

聞こえるような大音響とともに、彼は吹っ飛んだ。

私は外出先で連絡を受け、救急病院へ駆けつけた。

応急処置中の彼に意識があったので、ほっとしたが、左手を砕き膝の裏や顔面は

ひどい傷の重症で、結局、入院3ヶ月、リハビリにも時間がかかるほどの事故だった。

一言、「社長すみません。私としたことが・・・」それだけ言うのが精一杯だった。

 

超ベテランの彼が、油が残っている古いドラム缶の油を抜かず、蓋も取らずに、

いきなり溶断の火口をドラム缶に当てたので、火が内部に入った途端、爆発、破裂

したのだった。

誰もが知っている初歩中の初歩の作業ミスだった。

 

その彼が、ベテランの立場で、同じ場所にいたから事故を防止するよう動くべき

だったという理由で、責任をとった退職を決意したのだ。

 

彼も、ベテランとはいいながら来年始めに68歳になる。

その年令も自ら考えていたと思われる。

 

いずれどこかで引かなければならないとすれば、これ以上の大事を起こさない

今が、その時だと、自分自身の限界を感じ取ったにちがいないと思っている。

 

ベテランとしての尊く、潔い自己判断である。

資産家であるから食うには困らないなどというのは、下衆の勘繰りである。