私の好きな俳句に、
別々に旅つゞけ来てリラに会ふ 小島梅雨
という句がある。
リラとは、一体何であろうか。
長い旅を続けて来て、確かにリラに会ったのであって、青い鳥ではない。
私は、このブログの「私の履歴書」のなかの「忘れ得ぬ人」の項で、多くの
早世した友達のことを書いた。
その中で、次の一節を書いている。
『 中学校の同級生で画伯の娘がいた。ほのかな恋心をお互い持っていたと思う。
ある日、山の上で画伯のお父さんと散歩しているのに出会った。
一瞬、私はどぎまぎしながら、じっと見つめていた。
彼女は知らん顔して通り過ぎる。
と、クルリと振り返って「にっこり」無邪気な笑顔で笑いかける。
夏目漱石の草枕にでてくる「那美さん」を思い出す不思議な笑みだった。
それが会った最後で、学生のとき下宿で一人冷たくなっていたことを後に
知った。その画伯の少し高価な絵だが、私は大切にしている。 』
中学校の1年か2年の時のことだから、もう50年前のことだ。
小学校の頃から、よく祖父と近くの山へ登ったり、旭川の土手道を歩いた。
この時も、岡山の東山斎場の裏にある墓にお参りをしたあと、今は操陽南山と
いう団地になっている茶臼山古墳のある山を越えて大廻をして帰った。
頂上からは、児島湾、瀬戸内海をはさんで間近に小豆島の全景が見え、反対
側は、岡山市外を一望できるとても見晴らしの良いところだった。
私が彼女に会ったのは、その丁度頂上で、彼女たちは反対から上がっていた
ので、お互い突然姿を見ることになったのだった。
その彼女に弟さんがおられたことを先月、突然知ったのである。
私は、懐かしさの余り失礼も省みず、上記のブログを読んでもらった。
その弟さんから、間接的ではあるが懇切な返事をいただいたのである。
『 ブログ拝見いたしました。
実に簡潔な文章でありながら情景が鮮明に想起され、連鎖的に時を遡って
記憶の深層に想いが巡り・・・・・。
ご記憶のなかに、私の姉がこのようなかたちで在ったことに痛く感激し、
ブログのプリントをお仏壇に御供えし、姉に報告させていただきました。
私は今月 還暦を迎えます。
あのブログは、私の人生の「第三楽章」を如何に奏でるべきか、
そして最後の指揮棒が振り下ろされた後の あの一瞬が自己の人生の結晶で
あると考える私にとって、この上なく貴重なご教唆となり、
心より感謝いたしております。 』
私は、弟さんを通じて、「リラ」に出会ったのだ。