インドのカースト制度は、人口の多いインドでの弱点をカバーするワーク

シェアリングのためのシステムであると書いている論文があった。

へー、なるほど、そういう見方もあるなあと感心した。

 

そして、更にこう書いている。

インドの下層民は、昔からカーストから抜け出るためには、海外へ進出する

しかなかったが、現代に至って、IT産業で俄然注目を集めたインドであるが、

それは、下層ファミリーがカーストから抜け出るインディアン・ドリームである

ことを意味する。即ち、職業の壁は、新しい職業に夢を託すことによって

打ち破ることができるという一条の光りを見たのである、と。

 

あらためて、インドのカースト制度をみると、ご存知のように、ブラーミン

(バラモン)、クシャトリア、ヴァイシャが上におり、被征服民であった層、

シュードラがあり、さらに、カースト外のカーストである「アチュート」がいる。

非接触民(指定カースト)であるが、自らは、ダリット(ブロークン・ピープル)と

呼んでいるそうだ。

 

ダリットは、1~1.6億人、低カースト層は4億人いるそうで、11億人といわれる

インドの人口の1/2が職業を限定され、差別を受けている、そして、だから

貧困でもあろう層が半分を占めていることになる。

そして、インドへの投資は、急速に増大している。

 

私は、岡山大学で公衆衛生学の博士課程に留学をしていた中部インド出身の

アユルベーダ(インドの伝統医学)の医師を知っていて、インドのカーストのことを

一寸聞いたことがある。

細かい話はもう忘れたが、強烈な印象は、本とか嘘かは知らないが、本人いわく

「先生!(これは私のことである)私はバラモンの出身なのです。インドのカースト

は必要悪であり、結局なくならないでしょう」と、流暢な日本語で言ったことだ。

 

そういえば、あのガンジーでさえ、建前と本音ははっきりしており、公式な発言でさえ

「カーストは、社会に自然な秩序である」と、ワークシェアリングを是認するような

発言を遥か昔に言っている。

 

差別は、古今東西、紀元前何千年昔から、現代に至るまで存在し続けている。

差別は、自分より下の人を捜し出すことによって、自分の存在価値を高めようと

する「人間の性(さが)」である、としか言えないのであろうか。