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エリン…


黒い服を着た少女はこの世界の名をそう呼んでいた。そして俺のことを、俺の名前とは別にミレシアンとも呼んだ。どうやらこの世界で生まれた人間とそうでない人間たちを分ける呼び名だそうだ。そして呼び名とは別に、大きな違いがあるそうだ…




あれから何日がたったであろうか。俺がもともと住んでいた世界と、この世界では時間の流れがどうやら違うらしい。元の世界ではそんなに時間はたっていないらしいが、俺の感覚…つまりこの世界ではかなりの時間がたっているようだ。


最初に地図を渡されたときは、この世界はせまいのだなと思った。しかし現実は違った。広かった。とてつもなく広かった。どうしてせまいとおもったのかは、実際にタルティーンという町に向かってみようと、ティルコネイルから出発したとこで発覚した。

そう、いつもの世界ではあるはずのものがない。交通手段だ。


いつもの俺は電車という乗り物を使ってものの数十分で何kmと先にある出勤先に通勤していた。電車がない勤務先にはバスなども利用した。地方にいったときには自身のもっていた自動車などを使ったものだ。

しかしこの世界にはない。いや、ここ最近スクーターは販売されたようなのだが…俺の世界とは仕様や販売方法が違うらしい。とにかく俺にはどうしても手が出せないらしいのだ。

その日は移動をあきらめ、ティルコネイルでさまざまな準備をしていたら親切にも馬をくれた。

移動手段としてはかなり役に立つのだろうが、世話をするための場所やお金もない・・・

そんな表情を見てとれたのか、そんな心配はないと理由もそえて笛を手渡してくれた。

ファンタジーライフとはいったものの、すさまじい便利さを感じた。便利さと一緒に理不尽というか、なんというか、こう、もやもやとしたなにかが、心の中に残った、が、深く考えるとこの先生きていけそうにないとおもったので、考えるのをやめた。


さっそく馬を呼び出し、またがってみる。乗馬は元の世界ではやったことはなかったが、ある程度の知識などがエリンに呼び出されたときに植えつけられているらしく、難なく乗れた。

いくつか問題があるとするなれば、今の体は十歳の女の子だということだ。


まず馬がでかい。乗ってからはよかったものの乗るまでには苦労した。

そして、こういうのを着てみたかったとはいえ、ふりっふりの服だ。下着が角度によっては危うく危険が危ない。


…まあ、元の世界では可愛いもの好きな冴えない男だった。もし生まれ変わるなら、そういうのが似合う女になりたい、なんて思っていたんだ。


そしてこの世界に呼び出され、体を見たときは歓喜した。願いがかなったのだと。

だからそのとき聞いた、「ミレシアンは死んでも死なない。」という、この世界の人間とミレシアンとの大きな違いのことなんて耳に入らなかった。むしろ便利なのではないかとすら思っていた。

でもそんなことはなかった。痛いものは痛いままだったのだから、死ぬほど痛くてもそのまま痛いままだった。


学生時代、原付で飛ばしていたら事故をおこして身を放り出されたことがあったが、あのときも痛みはあった。だけど、それは次第になくなって冷たくなっていってるのではないかという錯覚すらあった。

これが死に近づくことか、と恐怖もあったが安堵もあったのを今でも覚えている。

苦しみから解放されるのだからいいや、と安易な考えだった。


この世界ではそれが許されなかった。狼に噛みつかれ、熊に引き裂かれ、血を流し苦痛を覚えても、それを忘れることは治すことだけ。治すまでの苦痛はずっと耐えなければならない。

生きているからこそ味わう苦痛。そして死なないからこそ抜け出せない。噛みついてきた狼も、引き裂いてきた熊ですらも、死んだら…そのまま死んだのだ。当たり前のような出来事なのに、なぜか負の感情がこみ上げてきたような気がした。


死ねない。


元の世界では不老不死を夢見て、神に近づくことを夢見て、不毛な研究を行ったと聞いたことがある。そしてそれに憧れを持ったこともある。でもそれはあくまで「現実になし得ない非現実」であるからこそ憧れという感情を持てたのだろう。


しかし、「現実となった非現実的だったもの」は案外忌避されるものだ。


個人的に思っているのは、ノアの方舟と核である。

まったくもってかけ離れていると思うだろうが、なんせこれは個人的な見解である。

ノアの方舟は、簡単にいうとノア以外の不届き者以外沈めて浄化しようぜ、なんて話だ。そして「浄化」という言葉を使って神聖化している。でも現実にはそんなことおこらないからこそ、神聖視したままなのだろう。

かわって核だ。「この国の連中は世界にとって不利益だ。核おとそうぜ。」と発言したらどうなるだろう。絶対にその発言をしたものは悪と捉えられるだろう。「世界の浄化のためだ。」なんていったところで聞く耳をもってくれないだろう。


一方的に、理不尽に、命を奪う行為というのは同じなのに、現実に起きないであろうと思うことと、現実に起こせることへの反応の違いがある。


正直エリンにくるまではそんなことなんて考えたことなんてなかった。けどこんな苦痛をひきずったまま生きていくことになるエリンで、この体をのろってしまいたいと思ったときによぎってしまったのだ。


それでも俺は生きている。


死ねない、からではない。生きたいからである。


事故を起こしたあの時も、薄れゆく意識の中で生きたいと叫んだんだ。


「やりたい事もやってない・・・いや、やりたいと思うことすら見つけてないんだ・・・!」

若かった自分はそう思っていた。そして今も、死なない体になってからも生きていたい理由は、やりたいことを見つけてそれをやっていきたい、ということだ。


正直やりたい事なんてそうそう見つかることなんてない。

今日も何もすることなく、ただただ広い草原を駆け抜けて新しい町についただけだった。


「この町でも・・・やりたいって思えることもなかったか・・・」


町の広場にいって腰掛けれそうな場所を見つけ、いつものクセでズボンのポケットに手をつっこもうとした。しかし今の服にポケットなんてないし、なにより目的のモノもない。


「ああ、くそ・・・またやりそうになってた・・・くそ・・・」


元の世界にいたときから、いつも自分の中がからっぽだと思ったときに、満たされないとわかっていながらも、なにかで体を満たそうとするために手をつけたのだ。煙で体の中が満たされるんじゃないかな、と。






でも満たされるのは肺の中で、心は満たされない。

分かっている。理解していないふりをしているだけなんて、昔からわかっている。


なにもない自分のまわりには、なにもない世界しかない。


でもこの世界にきて分かったことがある。世界は広いということだ。

今の自分には何もないかもしれない。でも地平線の向こうにはなにかがあるのかもしれない。そんな期待や希望が少しでもあれば、この胸の中の空虚さを満たしてくれる。そしてその地平線から見える朝焼けが、なにかがはじまろうとしている輝きに見えたとき、何もない世界にきっと、なにかを生み出してくれるのだろうと信じている。


俺は…いや、私はまた平野を駆け抜け、未来を探す…
















あ☆と☆が☆き



途中で迷走しましTA☆




そして写真も撮ろうとしたときの事故率

ニコ生でも事故は多いワタシですが、安心と信頼の事故率である





イッツノヒッモーAME-☆



ギルドストーンぇ・・・


まあ今回のは何が書きたかったのかというと、

生きていることはつらいけど、いきててよかった、って思えるように生きていけばうんたらかんたら、うん正直


自分でもよくわからん!


とりあえずこれを見た人の目を汚して、「目が!目がぁぁぁあ!」って感じにバルスっぽいことしたいんだなぁっていうことだけハッキリとわかったぜ!←


というわけで今回のSSはこれにて・・・^p^