昨日は年末年始で泊まりに来ている母と息子を連れて
この辺りでは有名な参道のある神社に
初詣に行っていきました絵馬

混んでいる時に混んでいる所へわざわざ
行くのが嫌な私にとって
久しぶりの「初詣」
母も新幹線を使って来てくれているので
私としても、少しは楽しんで帰ってもらいたいという想いです。

ナビに案内されるまま道を間違え、渋滞にはまり着くまでに苦労しましたが
参道で買い物したり美味しいものを食べたりして
正月気分を味わえました。


実母は
有料の新幹線の割引会員に入っているのに
一昨年は一度も来ませんでした。
会えばお互い合わずに
嫌な気分になってしまうからです。


いつもこちらに来てもすぐに
料理、洗濯、掃除と
常に何かやっていないと気が済まないようで
ずっと動き回っています。
私は、落ち着きません。

何も言わずとも
朝食が終われば昼食、それが終われば夕食の支度。
その間にあらゆるところを掃除し始め
配置替えや処分などが行われ続けます。

洗濯も、朝私が起きる前に回されて干されて
乾けば取り込まれ、畳まれます。

常にお腹がいっぱいの状態で
食事が与えられ
何もせずに管理される。
動物園や水族館の生物や
篭の中・水槽の中で飼われる生き物は
幸せなのだろうか、とよく頭に浮かびます・・・。
飼い主はそれを見て満足かもしれませんが
家畜自身は、生きている幸せを感じることが
難しいのでは?・・・と。


これを有り難いことじゃないか
というのも、そうかもしれませんが
しかしそうとも言えないと思います。

私はきっと
こうして育てられてきたのでしょうね・・・。

なんでもかんでもやってあげ
心配され。
それでは子どもが持つ自ら育つ力を
奪ってしまうことになる。
「良かれと思って」やることは
大抵、その相手の為になど本来の意味ではなっていないのです。


子が「一人で出来る様になる」為の手伝いをする。
それが親の役目ではないでしょうか。


私はボランティアで子供や親御さんと関わる機会もよくありますが
何かを子どもが造る際、例えばハサミやカッターを使うだけで
危ない!を連呼して触らせない人や
大人がどんどんやってしまうという場面が本当に多いです。

危険は、まずそれを体験しなければ分からない。
使い方を教えた上での小さな怪我や失敗は
その子にとって大きな学びとなるでしょう。

「失敗」をさせない事が親の役目だと思うのは
間違っています。
親はその権利を奪ってはいけないですよ。



さて
もう不惑近い娘の所に来ても
ずっと家事をし続ける実母。

有り難いですよ?
でもざわざわしてしまう。
本音は
朝は休みぐらいゆっくりしたいし
好きな時にご飯も食べたい。
「家族みんなで」を強制され
それをしなければ「家族バラバラだね」と嫌みを言われ。




私は過敏な人間なので
「マイペース」が乱される事に
人一倍苦痛を感じるのだと思います。

母は、全てを「キチンとやらねば!」という
思い込みの強い、「常識」や「普通」が正しいとする人なので

特性の強い私とは、価値観やペースが大きく異なる
相性の悪さがあるのかもしれません。


この人といると
私が私として生きられない。
そうとまで感じました。

何から何までされると、人は無気力になります。

親子であっても
相性というものは存在します。
「気質」の違い、と言ってもいいかもしれません。
それでうまくいかない親子関係であるならば
悲しいものです。

気質の違いはもう、しょうがないので
そんな場合は
相手を(我が子であっても)
自分と同じだと決めつけない事が大事でしょうか。

自分の価値観やペースに引きずり込もうとせず
相手のそれを楽しむ位の気持ちに・・・。
違いを楽しむ事が、大切ですよね。

また
適切な距離感さえあれば
共存は可能です。
私と母も、普段は離れて暮らしているので
その間憎しみはありません。



とはいえ、母ももう高齢な老婆。
そしてもう明後日には帰ります。
有り難く受けとる様に心がけようと思います。
反面教師の様に
気付かされることも多く、自身にも学びの機会
また他の人にも伝えられる機会として受け止めます。

この正月は
樹木希林さんの本を数冊借りてきて読んでいたのですが
希林さんがよく話されている「仏陀とダイバダッタ」の話には
共感させられます。

ダイバダッタは仏陀の邪魔をしたり
殺そうとまでしてくる親族なのですが
仏陀は「ダイバダッタは前世で自分の師匠で、今世でも
自分を成長させるために同じ所に生まれてきて試練を与えてくれるのだ」と
悟るのです。

希林さんにとっては夫の内田裕也さんなんかが
ダイバダッタですよね😅

私の人生にも、ダイバダッタが幾人もいました。
実母もそうです。

さあ、今日は
ちょっと近くに観光へ連れていってあげようかと思います。