こんにちは😃

あこあこですカエル

いつも読んでいただきありがとうございます😊


今日は叔父が亡くなった時の話です
苦手な方は無理しないでくださいね(^^)


土曜の夜

母から連絡があり
叔父(母の弟)が危篤状態ということでした


数日前に、まだ意識がしっかりしている時に
お見舞いに行って 会えてはいましたが
最期にひとめ   間に合えば…
と車で病院へ急ぎました

残念ながら、私が病院に着く  20分ほど前に
息を引きとってしまったのですが…

家族や孫たち
母たち姉妹に見守られての安らかな
旅立ちだったようです。


75歳の叔父でした
60歳で定年を迎えてから、肺気腫を患い
10年間以上も治療や入院を繰り返していました。酸素ボンベが手放せない生活でした。
病院ともとても長いお付き合いがありました



主治医の先生からお話がありました
それがとても  記憶に残しておきたい感慨深いものだったので、書き留めておきたいと思いました。


カトリック系の大きな病院だからなのか
亡くなってからの叔父に対する対応が
とても丁寧で
ゆっくりとお別れの時間をとってくださいました。



まず家族だけが見守るなか
身体やお顔を綺麗にして
叔父がまたいつか働きたいと、新調してあった背広に着替えさせてもらっていました。


私たち親族が呼ばれて病室に入ると
看護師の方から
これから旅立つ途中で
喉が乾くでしょうから
皆さんから最期の言葉をかけてあげて
脱脂綿で口を濡らしてあげてくださいと説明がありました。

1人1人が、思いの言葉をかけて
口元を水で浸してあげている間
奥さんである叔母は、亡き叔父の肩を抱いて
頑張ったね。楽になれたね。とずっと
話しかけていました

まるで寝顔のように安らかな表情でした


叔父は、44歳の娘を5カ月前に癌で亡くしています。

わたしからは、
娘◯◯ちゃんに今きっと逢えてるね
本当にお疲れ様でしたと伝えました。



しばらくすると主治医の30代後半くらいの先生が枕元に来られて(この時、深夜11時過ぎでした)

叔父の闘病について
色々思い出話をしてくれました。

以下、先生の言葉です



長いお付き合いでした

叔父の、病気を治したいという強い気持ちが
医師をはじめ介護士や看護師、リハビリを担当する理学療法士たちみんなを一つのチームのようにしてくれました。
チームが一丸となって、本当に治してあげたいという気持ちで治療にあたってきました。

医師と患者さんという関係で終わってしまうことも多いなかで、とても理想的な形でした

叔父は
毎日の記録や服薬、生活からリハビリに至るまで
一切手を抜かずきちんとやってくれました。
なんとか元気になりたいという気持ちが
私たち医療に従事するものにも伝わってきました。

発病してから、ここまで長く頑張れたのも
叔父の病気やリハビリに対する努力の賜物だと思います。
今でも、医師としてやり残したことがあるのではないかと考えてしまうことがあります

本当に完璧でナンバー1の患者さんでした。
尊敬しています。

というようなお話でした。



そのあと、霊安室に運ばれて
私たち親族がお参りした後
主治医の先生と看護師さんが2人
私たちにまで丁寧にお辞儀をして、お参りをしてくださいました。もう0時近くなっていました

病院のかたの、叔父に対する敬意あふれる
対応に
感謝の気持ちでいっぱいになりました。



死んでしまっても全て無くなってしまう訳ではないんだな。残るものってあるんだな…

それは、
懸命に生きてきた  生きざまなのかな
人の心にずっと残るものがあるんだな…

と、深く考えながら、
母を隣に乗せて家路に着いた夜でした。


私たちの前では、
とてもひょうきんな叔父でした。
叔父の違った一面を知ることができた
大切な時間でした。


最愛の娘と旦那さん2人を、
半年のうちに失ってしまった
叔母が心を休めて元気でいられることを
願うばかりです。

そして、元気なうちに両親にたくさん親孝行したいと強く思いました


合掌