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純文学と大衆文学 [編集 ]

小説は十九世紀以降純文学 的傾向のものと大衆小説 的傾向のものとに分類されることが一般的となった。それ以前の小説は、セルバンテスやラブレーがそうであるように芸術性と通俗性を区分することなくひとつの目標として追求することが多かったが、小説の読者がひろがり、技法的な発達を見せるにしたがって、交通整理が行われるようになってくる。各国の事情によって多少の差はあるが、現代文学では両者の傾向を分けて考えるのが一般的である。日本の場合は純文学、大衆文学と呼ばれる。

区分が具体的になってくるのは明治末年ごろの文壇からで、大正期のメディアの発達によってこれが具体化・固定化し、芥川賞・直木賞の制定によってひとつの度としてとらえらえるようになった。戦前から戦後のある時期までは、純文学は芸術性を指向し、大衆文学は通俗性・娯楽性を指向するものであるという区分が明確で、「自分のために書く小説、読者のために書く小説」といった言いかたをされることもあった。この時期は純文学の主流は私小説、大衆文学では時代小説であり、それを書く作家が固定していたのも特徴である。ただし当時から一人の作家について通俗的作品、芸術的作品と分類されることもあり、単純ではない。

現在では純文学、大衆文学の境界はあいまいで、双方の作品を発表する作家、一方から他方へと移行する作家、自作について特段の区分を求めない作家が多くなってきている。実態としては純文学・大衆文学の区別は掲載誌によって行うことが一般的である。

文学賞では、芥川賞 は純文学、直木賞 は大衆文学の賞であり、受賞作家・作品をみればある程度捉えられていた。しかし、芥川賞作家が娯楽作品を執筆することもあり(たとえば奥泉光宇能鴻一郎 )、作家名で判断することはできなくなっている。純文学作家の三島由紀夫も大衆文学を書いている。逆に大衆文学の作家が純文学的作品を書く例もある(筒井康隆など)。また、最近では芥川賞=純文学、直木賞=大衆文学と単純に言えない例も出てきた。第二次世界大戦後、中間小説 という分類をおくこともあったが、現在ではほとんど死語であろう。

純文学小説の堕落と見る向きもあるが、19世紀的な芸術/娯楽という二項対立的分類が、現代文学の状況を正確に把握しきれなくなったためではないかという指摘もある。海外でもチャンドラーやグリーンのように通俗性を保ちつつ高度の芸術性を発揮する小説作品が少なくない。

内容・分野によれば、通俗恋愛小説、冒険小説、推理小説、時代小説 、通俗歴史小説、サイエンス・フィクション、ファンタジー、ホラー小説、武侠小説などは大衆文学とすることが一般的であるが、これらの性格を持ちながら純文学とされる作品は戦前から少なくない。