2015年は色々挑戦をして色んな体験が出来たけど最後に悲しい出来事がありました。
去年の12月22日に祖父が85歳で亡くなりました。
クリスマスに葬儀を行ってからあっという間に年が明けた感じです。
正直、大晦日も正月も休めはしたけどテレビをつけてても見てる気にならないし音楽も聴く気にもならず、世間のめでたい感じもどうでもよく思えてしまい
ほんと実家にいて祖父を思い出して過ごすという日々でした。
東京に戻っても気持ちは上向きではなかったけど昨日、今日あたりからやっと落ち着いてきました。
こんな正月は生まれて初めてでした。
突然でびっくりでしたが半年前くらいからだいぶ体調が良くなくなっていたのである程度は覚悟してました。でも実際そうなるととてもショックでした。
最後に話したのは去年の9月、東京に戻るとき
「しょうた、ありがとうな」の一言でした。
何に対してのありがとうの意味は定かではないけど今までありがとうの意味にも感じとれました。
今年の5月には天皇陛下からの表彰式があるからと意気込んでいて俺もそのつもりでした。
じいちゃんは市会議員の役員をずっとしてきて兼業で農家をしてきました。
亡くなる半年前まではさくらんぼを収穫してました。84歳でそこまでやるなんてほんと考えられませんでした。
びっくりするくらい仕事に没頭する人でした。それがやはり祖父の生き方で、それで病気の進行が進んでしまったのもあるかもしれないけど仕方がないと思ってます。
葬儀には市役所関係者の方も多く来ていただき、祖父が7人兄弟ともあり親戚も多く、200人以上の人が集まりました。
その中で俺は弔辞を読みました。
俺の前には市長など県議会と市議会の3人が弔辞を読んでいて多少緊張はあったけど
読み始めると関係ありませんでした。
読んでいるとこみ上げてきて涙してしまいました。
弔辞は聞いてる人のことを考えて言葉を選んで読むものかもしれないけど
あえて、祖父にだけ話しているような言葉使いで話しました。
祖父からありがとうと言われたことはあっても俺はなかなか言えなかった。最後に言いたかったことをまとめて話しました。後で感動したとたくさんの人に言ってもらえたので良かったです。
東京に出るまで一緒に暮らしてきたし俺が生きてきた年の数だけ思い出があって色んなことを話してきた。思い出は語りつくせません。
常に目標をもってそれに没頭して真っ直ぐな姿勢を死ぬ直前まで見せてくれた。
そんな祖父に恥じないように生きていかないといけない。
思えばこの歳まで祖父の思い出があるというのは幸せなことかもしれない。
友達は祖父が亡くなっていたり、一緒に住んでなかったりする。
祖父は家族でご飯を食べてる時、よく孫に囲まれて幸せだと言っていたのを覚えている。
なかなか幸せだなんて思っていても言える人は少ない。思ったことをしてきて祖父は人生を全うしたと思う。
5年前くらいにやることは全部やったと聞いたのをちょっと覚えてる。後は死ぬだけだと。俺もそうなりたい。
大晦日は久々に会えると思っていたのにほんと悔しい。
5月、8月、9月に帰って11月も帰れば良かった。もう一度話したかった。これがすごく悔いが残る。帰れたのにほんと自分がバカだと思った。
あと不思議なことも起こった。
亡くなる1週間前くらいに祖父の夢を3日くらい連続で見た。元気に農作業している姿だった。
そのせいか、また元気になってさくらんぼを作るだろうと思えてしまった。。
でも実際その時は病気が末期の状態だった。
俺は祖父が10回以上倒れて救急車で運ばれてると聞いてるけど一度もそんな感じを見たことがない。入院をしてるところも。
元気な姿勢を見せ続けてくれた祖父だから最後も元気だぞと言いに来てくれたような気がしてます。
あと葬儀の日は深夜から朝にかけて大雨でした。しかし出棺で家を出て祖父が入った棺おけを運び出し霊きゅう車に乗る時にうちの家の上一帯だけで晴れたのです。
すごく不思議な空でした。偶然にも感じれなかった。
去年の12月山形は雪がほとんど降らず葬儀の日も全く雪がありませんでした。しかし葬儀の次の日から雪が降り始めいつもの冬の山形になりました。これも不思議だったしあの時期の雪が降らないなんて初めてでした。
ほんと色んなことがあった日でした。家族や親戚のありがたさにも改めて感じました。
祖父に届いていてくれてたら、とても喜んでいると思います。
ほんとにありがとうございました。