上甲監督死去
選抜高校野球大会で宇和島東(愛媛)、済美(同)を率いていずれも初出場初優勝を成し遂げた、済美の上甲正典監督が2日午前、死去した。67歳。高校球界に鮮烈な印象を残した名将の訃報に、親交のあった指導者や教え子から悼む声が相次いだ。
上甲さんは1982年に母校・宇和島東の監督に就任し、87年夏に甲子園初出場。翌年センバツで紫紺の優勝旗を手にした。2002年から創部したばかりの済美の監督になり、創部3年目の04年に春は優勝、夏は準優勝。昨春センバツでは当時2年生右腕の安楽智大投手を擁し、準優勝した。
甲子園には宇和島東で11回(10勝10敗)、済美で6回(15勝5敗)出場し、通算25勝15敗。6回出場の春は16勝4敗と強さを発揮した。笑顔を絶やさない「上甲スマイル」でも知られた。済美は今夏の愛媛大会3回戦で敗退。8月に部内のいじめが発覚し、秋季愛媛県大会出場を辞退していた。
公私ともに親しかった明徳義塾(高知)の馬淵史郎監督(58)は「かけがえのない存在。野球でも私生活でも、兄貴分であり、師匠であり、ライバルでもあった。今は心にぽっかりと穴が開いたようで、何も考えられない」と悼んだ。U18(18歳以下)アジア選手権(タイ)の高校日本代表を率いる鳴門渦潮(徳島)の高橋広監督(59)は「一番尊敬する方。実績があるのに甲子園での勝利に貪欲だった。勉強させていただいた」と惜しんだ。
宇和島東時代に指導を受けた岩村明憲内野手(ヤクルト)は球団を通じてコメント。「信じられないし、気持ちの整理がつきません。人生において、たくさんの大切な事を教えていただいた。もっと叱ってほしかった」と恩師をしのんだ。済美でセンバツ優勝した福井優也投手(広島)は「監督に出会わなかったら今の僕はない。厳しい監督だったが、野球を離れればいいおやじだった」と声を詰まらせた。
まだ67歳だよ。
惜しい人を亡くしたよね・・・
心よりご冥福をお祈り申し上げます。