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「パワーストーンで enjoy life」ブログ

パワーストーンについての事や、マイライフを中心にした日記

皆様、こんばんは。

いつもブログではパワーストーンを紹介していますが、私はもともと絵が好きで、学生の頃から美術をならっていました。若い頃、宝石店で勤めていたのを活かし、現在パワーストーンを扱っていますが、私の店ではパワーストーンだけでなく、食器や絵付けの手作り教室をしています。それで、時々、自治会や学校のイベントで出張講師もすることがありますが、先日お友達の依頼で遠方にオリジナルマグカップ講習をしに行きました。


その時、久しぶりに会う友達がパワーストーンブレスレットをしていたので、講習が終わった後、パワーストーンの話題になりました。

そのお友達の話によると、購入した先は自宅でパワーストーン教室や販売をされているらしく、評判が良いと聞き、そこで作ってきたらしいです。


彼女が身に付けているパワーストーンはクラックルの水晶とインカローズとアクアマリンの組み合わせのブレスレットだと言っていました。
丁度、私もインカローズのブレスをしていたので、ランクや出産地によって色合いや値段が違う話をしていたら、友達は作っている時の様子をしてくれましたが、かなり疑問に思いました。



「クラックル(ヒビの意味)は身に付けて自分が浄化されにつれクラックルがなくなる」と聞いてきたらしいですが、これは全くの嘘です。時々このような嘘をキャッチフレーズにしているサイトも見掛けますが、パワーを感じることがあっても、そんな不思議な意味の現象はありません。

実際に身に着けていて、ヒビがなくなった話を時々聞きます。では何故ヒビがなくなったのでしょう?



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実は、ブレスレットを洗浄したり身に着けていると汗などが蒸発して、少しづつヒビの間に水分が溜まるのです。それで光が屈折しにくくなりヒビか無くなった様に見えるのです。

反対にヒビの多いタイプのクラックル水晶はヒビが多くなり白く濁ったように見える事もあります。このタイプは水分だけではなく、日光を長時間浴びたり、体温の熱や気温の高い場所に置いておくとヒビか増えて、しまいに砕けてしまう事もあります。


市場に出回っている丸ビーズのクラックルはほとんど人工的に加熱処理したタイプです。


それと、当店では扱っていませんが、このクラックルを染めたストーンが販売されています。クラックルの染めは水などで色落ちがします。雨の日にこのブレスを付けると服に染め色が付く恐れがあるのでご注意ください。


もう一つ驚いた話ですが、パワーストーンを選ぶ時、一番お客様が気に入られた石が一番相性の良い石だと思います。実際、私自身もそれを感じています。

けれど、数あるパワーストーンを目にしたお客様は迷われます。

そんな時、私はいつも「手に取ってヒビッと感じる石を選んでください」とアドバイスします。

でも彼女が行った教室は「一度触れた石は交換しません。それを使って下さい。容器に戻すと他の石がけがれます」と言われたらしいです。

確かに、その人がマイナスエネルギーを持っていたら他の石もけがれるかもしれません。でも、それでは全てのパワーストーンは効果は発揮しない意味と同じだ意味だと思いましす。



なぜなら、私たちの手元にパワーストーンが入ってくるまで、パワーストーンを発掘する人や丸ビーズに加工する人、卸業者など、何人の手に渡ってくるのです。私もそうですが、卸業者に買い付けに行く側も良い品質を安く仕入れたいと思い、同じ種類のパワーストーンの中から幾つか手に取って吟味します。省いた石は元に戻しますが、卸業者は浄化しません。

結局、パワーストーンはしっかり浄化さえするとパワーは蘇ります。

それに、当店ではそうしていますが、一度触れられたストーンは別の容器に入れてもらって、後で浄化してからもとに戻したらいいと思います


それに彼女のインカローズは、私が見たところピンクオパールのランクが良くない石に見えました。実際、ちらりとしか見ていないし触れてもいないので、それが本物のインカローズかは解りませんが、12mm玉だったので怪しい感じがしました。


そのインカローズの一粒価格を聞きましたが驚くほどの高価な値段でした。もしそれが本物だとしても、色合いや状態は良くなかったので高い買い物をされたと思いました。


今このブログを書きながら、どんな仕事をするにせよ、お客様が喜んでいただける仕事がしたいし、自分の仕事に対しては知識は豊富でいたいと改めて思います。












舅の墓参りをして二人が急に優しくなった事を感じた私は、離婚したかった気持ちが揺らぎました。

それは、今まで冷たかった二人が優しくなったのが嬉しいく思えた事もありましたが、それ以上に今まで離婚した後、私と子供の関係を不安に思っていたからです。

主人は私に冷たかったけれど子供には優しかったので、子供達は主人と離れる暮らしを望んでいない事を知ってたし、長女を除く他の子供たちは主人から暴言を受けている事を知らなかったからです。


二人が優しく接するようになったのは10日間しか続きませんでしたが、私は自分の思いを止めました。


墓参りをして二人か優しくなったのは偶然かもしれないけれど、私は家族と一緒に行く墓参り以外に、月に一度、一人で参る機会をつくりました。


結果はやはり同じです。墓参りをした後の10日間は不思議と主人からの暴言はありません。それどころか、姑の暴力はそれ以来なくなりました。


それから2年ほど経ったある日、主人から「お前は自分の先祖の墓参りをしてないから、ちゃんとするべきや!」と言われました。

確かに私は自分の先祖の墓参りはしていませんでした。

墓が遠いのも、その原因でしたが私の育った家庭は墓参りをする習慣がありませんでした。


主人からそう言われて、お彼岸やお盆、年末は参りに行くようになりました。でも何も変化を感じる事はありませんでした


ある日、主人は携帯を開けてまま握って寝ていました。

掛布団を掛けてあげようとした時、主人はメール中に寝てしまっ事に気が付きました。

「どうせ浮気相手にメールしてたんだろう。嫌な思いしたくないので放っておこう」と思ってましたが、何故か覗いて見たくなり、メールを読んでしまいました。


やはり、女宛てに書いていたメールしでしたが、最後のコメントに驚かされました。

「明日50万あげるから、それで買ったら・・・」

その時の私の怒りは半端ではなかったです!


なぜなせ結婚して以来、我が家の経理は主人が握っていて、生活費はその半分も貰えていなかったし、塾代や子供の習い事、生活費の足りない分は私の稼ぎから支払っていました。それに、持家である店舗、(私が現在使っている店)は使用料として家賃を主人に支払っていたからです。

そのうえ、生活の中でもかなり厳しく、テレビを見ている最中トイレに行ったら、「電気代がもったいない!テレビを消せ」と言うようなたぐいの注意をされていたから、私は「今まで何のために始末してきたんだろう」「嫁より外の女の方が私の数倍も幸せ」だと言う現実にもう耐えられなくなりました。


今度は舅の墓参りなどすることもなく、調停に離婚願いを提出しました。

離婚の原因を知っている主人は暫く何も言いませんでした。私は主人と顔を合わせてたないので、自宅の隣の店舗にいました。けれど調停を進めていくうちに、主人は激怒しだし、罵り始めました。子供のいない昼に、店にやってきては、物凄い罵声を何時間も浴びせられる毎日。

調停に離婚届をだしたと同時に、私は市の相談所で離婚のことについて相談してましたが、その時「あなたのご主人はDV(ドメスティック・バイオレンス)です」と聞かされていたので、私はすっかり精神的に参ってしまい、彼を見るだけで身体か震えだします。


もし、その時私に他で住む場所があれば、そうでもなかったかもしれませんが、彼がとても怖くて、朝廷では浮気をしたことしか言えなかった。けれど主人は審査員に「妻にはとても感謝しているし一番大事だ」と伝えてたので、審査員は主人に同情し「離婚して得な事はなにもないです。判決があなたに有利であっても、自営業だったら収入をごまかされたりして、ちゃんと養育費など貰えない人達がいます。浮気は本気ではないのです。それに、ご主人は稼ぎがいいので、あなたがもっと上手に操縦したら、」みたいな事を言われ、結局私の願いは取り下げられる結果に終わりました。


その後、本当に病んでしまった私は、発作を起こす度、心臓の周りの血管が脹れ上がり、痛くて何も出来ない、ただ睡眠薬や精神安定剤を飲む毎日が続きました。

主人は「今回の事は本当に悪いと思うし、これからは何でも好きな事をさせてやりたいと思っている」と言って、半年間、献身的な看病や、家事をしてくれました。


病状は一年もたたないうちに治まってきましたが、私の心は死人同然。彼は確かに献身的でしたが、もう心は寄り添えない。そして子供を思いながらも、それが重荷でたまらなかった日々・・・


それから半年も経たない頃、主人は経営に見通しがつかないので、万が一倒産した時のために全ての財産を私の名義に変更しました。その頃には私自身も本来の自分を取り戻し始めていましたが、主人もまた以前のような鬼に戻り始めていました。


元々主人は神経質で、髪の毛が一本でも落ちていると機嫌が悪くなるので掃除はコマめにしていましたが、彼は以前のような罵りの代わりに、洗濯の仕方が気に要らないとか、押し入れや天井に近い縁まで埃が無いかとかチェックしては叱ったり付けるようになっていました。

そしてもう一年経った頃には以前より酷くなり、今度は肉体的な暴力をふるう様に変わっていました。切っ掛けは以前、主人の暴言に、私が小声で言い返したことが聞こえていたらしく、それをずっと根に持っていたらしです。その日、酒に酔った彼は怒りが抑えられなくなり、私を何度も蹴飛ばしたり、殴りつけました。

次の日、謝ってきましたが、夜になるとまた酒を飲み、同じことの繰り返し!

一度目もそうでしたが、もう家族がいて止めても関係なく凶変する夫。


悲しくて恐ろしい瞬間でしたが、三回目の暴力を受けた時、私の中で何かの声が聞こえました。

「もうチャンスは逃がすな」と


私はあの調停の後、心から離婚を望んでいました。財産の名義変更した時点で以前のような金銭的問題は解決していましたが、普通に離婚を言い出したら彼が何をしでかすか怖くてたまりませんでした。


私は二人の関係に決着をつけました。

始めは絶対離婚はしないと言いはっていた彼に

「どうか子供のために私と別れていただけないでしょうか?あなたには今まで養ってもらった事を感謝しています。けれど、あなたは酔っているから力加をコントロースすることも出来ないし、万が一に私を殺してしまったらどうなるの?私は死んだらそれで終わりですが、残された子供の未来を考えて下さい」


もう彼は私に反論する言葉さえありませんでした。


皆さんは、私が自分の先祖供養をしたのに何故そんな目にあったんだろうと思われるかもしれませんが、私は次のように思っています。

一度目の離婚を考えた時、子供の事を一番に考えていましたが、やはり私の中で彼に対する愛情はあったと思います。

けれど、二度目に決心した時は愛情が吹っ切れました。

でも私は下の子供がまだ小学生だったので、高校を卒業するまで我慢するつもりでした。

そんな中で、財産分与の問題が解決し、あれほど恐怖感があった私の口から彼に反論する言葉が漏れました。

私は暴力を受けましたが、その代わり彼は二人が一緒でいられない事を認めざる負えなくなったのです。

そして、最後に私が感じた勇気。それは本当に不思議な感じでした。

私はきっと、自分のご先祖さまが「もう我慢しなくていい。彼から解放されて幸せになりなさい」そう言ってくれている気がします。

実際、彼と別れたことで自分の人生を楽しみ、本当に幸せを感じています。


それに、子供と元主人はいつでも会える環境にしましたし、私も時々彼と会う事がありますが、結婚していた頃は自分の意見を聞いてもらえなかったので、必要な事しか話しませんでしたが、今は何でも話せるような関係になりました。































 













今日のお話は私が体験したお話をしたいと思います。


私は離婚歴のある人と結婚しました。

彼には2人の娘がいまいたが、結婚の決め手は今でもはっきり覚えています。

現在の長女が、ありったけの笑顔で私を迎え入れてくれたからです。


でも結婚生活は姑も同居という形だったので、新婚のような甘い生活はありませんでした。それどころか、スタートから問題があり幸せとは言えませんでした。


その問題とは姑には血の繋がっていない娘に対して、私のしつけの仕方が悪いと言われ、責められる毎日でした。

当時は、子供が何をしたら厳しくしかったらいいのか解りませんでしたが、姑は私に「悪い事をしたら殴れ」と言い、それを実践して私に見せました。

けれど、いくら解らない私でも長女がしたことは大した事ではなかったので、暴力に対し姑に意見しました。

それからです!

「親にはむかうのか!」と言って私は姑から暴力を受けるようになりました。

私は、ちょくちょく子供のしつけの事でしかられました。

すこしでも意見すると私は殴られます。

それを見て知らんふりの主人。

何度か話し合いましたが、主人は嫌な事から全て逃げる人でした。


なので家庭内で何処にも居場所がない孤独を感じていました。


逆らわない私に対して、姑のいびりはエスカレートするばかり・・・

私は不満を主人ぶつけましたが、それが元で主人は女遊びをするようにりました。


はじめて主人の浮気を知った時、長女は小学6年生。

相手の女性から嫌がらせの電話があったので、主人の浮気は娘にまでバレてしまって、私は自分が傷つき悲しんでいる暇もなく、長女の心のケアーに専念しました。

「あれは飲み屋の女の人からのいたずらだ」と言い聞かせ、悲しんでいるそぶりを見せない事に努めました。


それから、また数年たちました。


話は変わりますが・・・

私が嫁いだ家は月に一度、亡き主人の父親の墓参りを必ず参る習慣がありました。

だから、お盆や正月などは勿論、こまめに墓参をしていました。

私はその中で、常に主人は亡き舅から守られている気がしていました。

なぜなら、主人の仕事にどんな危機が訪れようとも、それを乗り越えて常に成功を収めていたからです。


収入が増えた主人は益々、女遊びが激しくなり、「私を醜い」とか「アホな女」とか「貧乏人の娘」とか罵るようになりました。

それに、相変わらずの姑からのイビリ・・・


ある日、私は主人との別れを決意して、泣きながら舅の墓にひとりで参りに行きました。

私にしたら、別れの報告でしたが次の日の事です。

何故か主人が優しくなっていました。

姑もです。