64才、わんこと二人暮らし


10数年前、両親祖母が暮らした実家を建て直した。

(その20年前にも古〜い家の建て替えがあった)

もうそんな広い家は私には管理しきれないからだった。半分にした土地に実家がないと嫌だと姉が言うため施設にいる母名義で小さめな家を建て、姉や私が使えるように実家とした。その後私が住むようになった。その時はまだ水道光熱費も母名義の口座から引き落としのためシャワーをするなと姉から言われ、ジムで毎日入った思い出もある。

その家も姉の都合で売却して今に至るのだが、その2回両親祖母と若くして旅立った弟の持ち物を整理しなければならなかった。

3回とも期限があり、一度めは忙しい両親や年老いた祖母の離れと直前になくなった弟の物、すべて私が捨てたり運んだりした。2回めも本当に大変だった。

姉は介護もそうだが何も手伝ってなどくれないので、いつも子どもを連れたり、義実家に預けたりして、鬱真っ最中だったが私一人でやった。先代わんこと1日中雨戸も開けずに寝ていた日もあったががんばった。わんこの慰めのペロペロが一番の救いで泣いた。

途中でもう動けなくなり、大切なものだけコンテナに移し後は放置したので産廃費用がすごいことになってしまった。お金がかかって姉に嫌味を言われたが仕方なかった。思い出もクソもなかったがアルバムはまだ捨てられなかった。

小学三年生の時の日記が出てきて「今日もおねえちゃんにしねといわれました」と書いてあり愕然とした。先生のコメントは空白だった。

アルバムと日記は新居に持ってきたがほとんど見ることもなかった。

3回めの昨年の引っ越しでは思い出はすべて捨ててきた。祖父母、両親の幼少時からの分、私たちきょうだいの成長。小さい頃なくなった妹、私の結婚写真(特に1番いらない。)、貴重な写真もあったようだったが捨てた。私の子どもたちの分だけは本人たちに渡した。

両親の小さな写真は仏壇にまだある。妹弟の写真はなくなってしまった。

思い出はいつか忘れてしまうかもしれないけど、みんなの顔は記憶しているからもういいと思った。

昔のアルバムは本当に重たい。今は小さなメモリースティックにすべて入ってしまう。素晴らしい進歩だ。


すべて捨てたが本当はひとつだけ持ってきたものがある。本当にひとつだけ。





脳出血で倒れ左まひになってから母が使っていた杖。もっと年取ったら使うのかな、とは思ったがその時また買えばよい。だけどなぜか持ってきた。

それが今回の副作用での足の痛みに役にたつとは。

正直外では使わないが、家の中で立ち上がる時などとても助かっている。

今度外で使ってみようかな。

あの頃の母を感じてなんとなく嬉しい。

早くお母さんに会いたいなーとよく思ってしまう。

謝りたいことがたくさんあるんだよ、お母さん。




東京から大学時代の友人がやって来た。

昨年まだ乳がんと知らなかった秋に30年以上ぶりに遊びに来たばかり。遠くのご主人の故郷に引っ越すので最後に?と言う理由だそうだ。勝手に人をころすなよ…

そして最近亡くなられたお母様の扇子を私にくれた。何故?意味がわからない。ほとんど使ってないそうだがどうしていいかよくわからないので、とりあえず扇子袋を購入してみた(笑)


 

 



 

 



1〜2回お目にかかったことがあるとはいえ…正直わけがわからない。

ありがとうと言えなかったかもしれないが断ることもできなかった。捨てることも今はできない。

白檀の香りが素敵だからバッグに入れてこの夏使おってみようと思う。うん。





自分にジェルネイルをした。

指先がしびれてあまりきれいにできない。




爪の真っ黒さを隠したいのと割れ欠けを防ぎたい。

本来薄いナチュラルカラーが好きなのだが、真っ黒が隠せないのでちょっと濃い目。

以前この色をチョイスなさったお客様にはもっと似合っていたし可愛かったのに。

その方はもっと細くて小さなお爪だったからだな。私の爪大きいからまた似合うカラーを探そう。


反対の手は一本マニキュアだ。酸素飽和を計るのでそう言われている。同じ色がなくて赤になってしまった。



甘皮周りはケアしてもどんどんむけてくるのでもうあきらめた。オイルは毎晩続けている。

利き手側はラインが汚いな

面倒だった(笑)

自分のネイルをやりたいネイリストさんてあまりいないんじゃないかな。

とりあえず爪が守られれば良しとするか。




続く