「100曲」という数字について考える 後編です。

名うての作家さんの「100曲に関するコメント」を集めてみました。

 

 

まずは、乃木坂46でお馴染みのAkira Sunsetさんのお言葉です。

「話はとりあえず100曲バウンスしてからだ」

「はい、了解しました!バウンスします!」

 

 

 

続いて、欅坂46でお馴染みのバグベアさんのお言葉です。

 

「1日100曲位聴くと実力つくと思います。」

「はい!明日から必ず100曲聴きます!」

 

 

 

 

次は、アニソンの帝王の渡辺翔さんのお言葉です。

やはり幅を広げる意味でも100曲、重要ですね。

 

 

 

 

 

最後にヒャダイン先生のコメント2発です。(※100曲という数字には触れていません)

 

その1

 

その2

 

「くだらない曲でも、とにかく作って経験を積んでいく。」

「絞りきった雑巾をそれでも絞るかのようにさらに作って、リミッターを少しでも超えていく」

 

「ヤル気になれました。ありがとうございました。」

それ以外の場所でも、名のある作曲家さんが「とにかくたくさん作るのがレベルアップの秘訣」と話してるインタビューを何回も見かけた記憶はあります。

 

 

「曲をたくさん作ることの有用性」について、このようなことを思いました。

色々なジャンル曲を作ることによって、積み重ねる度に徐々に幅が広がり対応力の引き出しが増える。それによって「どうやってつくればいいかわからない」とビビったり、放棄したりする機会も減少すると思います。

 

その都度、自分にとっての全力でアイデアを振り絞ってたくさんの曲を作ることによって、アイデアのストックが増える。

そして、そこから生まれたアイデアは、その場限りで終わってしまうのではなく、その後作る曲に流用させることができる。

 

 

ちなみに僕が作った曲数は、現在92曲目を制作中です。

ただし、この92曲の中には、きちんと完成させて提出した曲だけではなく、

締め切りに間に合わなくてアレンジが中途半端な曲や、制作の途中で「駄作」に嫌気が差して途中で投げ出してしまった曲、というのもあります。

一応作詞作曲した曲が92曲といった感じです。

 

数えてみたのですが、きちんと完成させた曲の数は56曲でした。そして、完成させずに放り出した曲が36曲です。

根気がないというか。。。けっこう多い・・・

ちなみに36曲の内訳として、「曲自体は悪くない曲」と「ゴミ以下レベルの曲」、というのはあります。

多少でも見込みのある曲は空き時間を見つけてきちんと完成させていきたいと思います。

 

 

エド・シーラン大先生が特集番組の中で、作曲理念についてインタビューされているのを観たのですが。

「曲はとにかくたくさん作る。1日4曲できる日があったり、なかなか進まない日があったりもする。

そして、良いと思う曲もあれば、全然駄目な曲もある。ただ、決めていることは、駄目な曲であっても必ず完成させるということ。

完成させてから次の曲を作る。そうしないと前の曲の流れに引っ張られる。だから完成させて断ち切ってから次に行かなければならない。

例えば、ヴァースを作ってる途中で”全然良くない”と感じたとしても途中でやめない。必ず書き切る。どんな曲であっても、書き切るってことが重要なんだ。」

 

という内容のことを熱く語っていました。完成させる。量を積み重ねるのと同時に、やり切ることの重要性も痛感しました。

 

 

総括すると、

毎回、その時点で自分の実力限界ギリギリのクオリティーを目指して曲を完成させる。必ず完成させる。

それを最低週1ペースで実行して、曲数を増やしていく。

 

週1ペースということは、1年が365日で計算すると約50曲ということになります。

1年で50曲。2年で100曲。ということで何となく納得できました。

 

是非実行していきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「100曲」という単位。

作曲やっている人から、その話をよく聞くような気がします。

それについて、自分に言い聞かせるように、かつヤル気を出すために、そのトピックにまつわる資料を集めてみたいと思います。

 

某音楽院のHPです。

「100曲コピー編」と「100曲オリジナル編」がまず目に飛び込んできます。

 

ちなみにこちらは100曲コピー編の抜粋です。

(抜粋)

「2年間で100曲の楽曲をコピーする事を目指します。
毎週月曜日に出される課題曲を耳でコピーをし、スコアまたはDAWのデータを作成するトレーニング。日曜24:00締切
沢山の曲に向き合いその曲の成り立ちを学ぶとともに、継続する事の大切さ難しさを体験していただきたいと思っています。」

 

自分の音楽のレベルを上げるという点において「100曲コピー」はインプットとして必須だ!という空気を感じます。

ヤル気が少しわいてきました。

 

さらに中に入っていくと、このようなページがありました。

(抜粋)

コピーするという事

「音楽を学びたいなら何よりもまずはコピーする事。つまり真似る事。「100曲」という数字についてコピーをして良い曲、良い歌、良い演奏をより深く知る。これ以上の学びは他に見当たらないと思う。これが基本中の基本。 目標とするアーティスト、ミュージシャン、作家等が見当たるのなら、今すぐに真似てみる。一挙手一投足、一言一句違わないように完璧にコピーしてみる。それはつまり技術を習得する最短距離だと思う。 決して1回やった位では身につかないだろう。だから継続する。継続は苦しい。しかしそれを乗り越えた人だけに見える未来がそこにはある。

 

ただの耳コピではなく、全パートの完コピのようです。。。

最後までついていくためには、かなり根性出さないといけないことが予想されます。

でも、これを最後までやり遂げた暁には結果が必ずついてくるのは間違いなさそうです。

 

卒業生の方のコメントも載っていました。

(抜粋)

「プロとの技術差を短縮するには、コピーを重ねて作曲と編曲の手法を学ぶ。」
100曲コピーのチャレンジ期間ではJ-POPのみならず、洋楽も、劇伴音楽もコピーの材料として、いろんなオリジナル曲を作り、技術はコピーを重ねて確実にアップしました。更にそれまでの自分が欠ける継続力も絶対に負けない気持ちで2年間までやり遂げることで培われました。
今の自分は、100曲コピーと100曲オリジナルで身につけた作・編曲経験を活かして、J-POPとHollywood劇伴業界へと活動の幅を広げています。

 

すごい。。。

J-POPだけじゃなくて、洋楽や劇伴まで、色々なジャンルを織り交ぜて課題が出されるわけですね。

課題曲は自分で決めるわけではなく、その都度出される形ですから、時には苦手な曲も課題として出てくると思います。

そういう意味では、安定したモチベーションを保つ精神力の強さも必要になると思います。

 

コピーが技術力を上げるのに非常に有効だということがわかりました。それと同時に継続することで強靭な精神力も身に着けなければ、と思いました。

 

さて、自分もその方式を取り入れるために、以上のことをまとめます。

・1週間で1曲、全パートの完コピ、並びにスコア作成。それを積み重ね、2年間で100曲完結させる。

・課題楽曲は、新旧・洋邦・ジャンル問わず様々の曲をコピーする。

 

このままの内容を、実行できるのだろうか。という不安はあります。

継続することを優先して、少し自分なりの改良を加えて取り組もうと考えています。

 

次回は

【「100曲」という数字について考えるの巻 (後編)】 です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これはコード進行をノートに書いたものです。

ちなみに僕は鍵盤をうまく弾けません。かろうじてキーCで何とかコードバッキングができるかできないか、くらいのレベルです。

弾けると呼ぶには程遠いレベルです。

このノートに書いてあるコード進行はすべての曲がキーCに変換されて記入してあります。

ちなみにこのページで大学ノート3冊目の半分くらいになります。

キーCに変換するのは非常に面倒くさい作業なのですが、キーCにしておく理由としては、「鍵盤でキーCしか弾けないレベルなので、鍵盤でコードを弾いて体に入れたい時に使うため」という理由がまず一つあります。やはりいつもギターでばかり作曲するよりも折衷していたほうが、もっと広がりが出ると言うか、そんな感じです。

あとは音楽理論的な視点で見る時だったり、コード進行のチェックとか、すべてにおいて迷わずに一見でわかりやすいという理由もあるのかもしれません。

音楽理論が独学の僕にとって、キーCのダイアトニックコードが、そのまま楽典とかのローマ数字(ディグリーネーム)に置き換わっているイメージです。

という訳なのですが、このノートを付ける作業は半年前ぐらいにヤメました。そう、今はもうやっていません。

写真左ページのfripSide「only my railgun」の分析を最後に右ページの空白はあの時のまま時間が止まっているようです。

 

「そう、僕らはあの日あの場所で時間が止まってる。」ですね。

 

やめた理由は、聴き取る作業も、キーCに変換する作業も、それなりに時間がかかるので「嫌になってしまった」ということがまず第一だとは思うのですが、

2冊以上続けてそれなりの量をこなした感じが自分の中であって、色々なパターンのコード進行や転調テクニックもそこそこ使いこなせるようになっていたので、「ここから先は、続けてもそんなに意味がないかもな。」と感じたのが理由です。

 

それと、こんな便利なサービスの存在を知ったこともやめた理由の一つに挙げられrます。

 

MUSIC (e)CLUB「ネットで歌本」というものです。月額700円弱くらいです。曲数の多さと質を考えるとコスパは結構良いと思います。

キーとスピードが変えられる仕様になっているので、ワンタッチでキーCに変換できてしまうのです。

写真のようにDaokoと米津玄師の「打ち上げ花火」はキーG♭ですが、キーCになっています。

 

これを知ったとき「なんだ。こんな便利なのがあるんなら、もう自分でわざわざやる必要ないじゃん。」てな感じになりました。

それ以来、コード進行はこれを使ってチェックしたり、弾いたりしています。

面倒くささもなくなり、非常に快適です。「それでいい」と思いました。

 

 ― そして、半年の月日が過ぎた ―

 

最近気付いたことがあります。

感覚的なことなんですが、コード進行や構成とかを含む音楽の流れがイマイチ体に入ってこない、と感じるのです。

 

便利さに喜んでいましたが、その反面、目に見えない大事な何かを欠いている。。。そんなことを感じるわけです。

 

自分の耳であくせくと聴き取り、さらにそれをわざわざキーCに変換して、そして自分の手で紙に書いて記録する。

この非常に面倒くさいプロセスにはそれなりの意味があった、体を使う作業はやはり身に付き方が違う。といったとこでしょうか。

 

僕は書くという手を動かす作業は覚えるために最適だと感じます。

割とその作業が自分的には好きらしく、中間、期末、あとは受験の勉強とかで、英単語はじめその他色々、何かを覚えるときはいつもチラシの裏に反復して書いて覚えていってました。書く作業と同時にさらに声に出すっていうのをやっていました。本の名前は忘れましたが、和田秀樹さんが書いた受験系の書籍に書いてあったのを読んで取り入れた感じだったと思います。

 

話を音楽に戻します。

一見意味がなさそうに見えるキーCへの変換作業は、楽典的な内容の復習や、全部のキーに対しての特色(共感覚って言うのでしょうか)の理解を強化していたり、結構重要な意味がある作業だったと思いました。

何であの時気付かずに軽んじてしまったんだろう。。。

 

そんな心境の変化がありましたわけで、久しぶりに今日から再開してみることにしました。

 

久々なので、リハビリということでシンプルな曲からリスタートです。チョイスしたのは、やなぎなぎさんの「ビードロ模様」です。

キーはD♭です。 途中うっかりミスで書いたり消したり破れたり、そんなんやりながらせっせとキーCに変換です。

 

ふぅ。。。やっぱメンドクサイ。 「おひさ」でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自己分析の巻

 

前回の立川談志(演:ビートさん)の「自己分析できてない、だからオマエは駄目なんだ」的なくだり、

そこからの自己分析。やってきました。

自分に「なぜ?」を投げかけ続けてみる。そこからブレインストーミング的に手を止めず、

そして下らなくても構わないから、どんどん出していきます。

「良し悪しは考えずどんどん意見を出して、最後にまとめる」です。

 

 

ブレストスタート

まず、「なぜ2年間もずっとコンペに落ち続けるんだろう?」ということへの自己分析。

→提出する曲が採用レベルを下回っている。

という当然の答えが導き出される。この調子でどんどんいってみよう。

 

「なぜ提出する曲が採用レベルを下回っているんだろう?」

→そもそもの才能がない。(もともと曲とかを作っていい人ではなかった、という根本的な原因)

 

→メロディ自体が良くない。(才能がないと同じ意味なのかもしれないが、ここは気にせずブレスト的にどんどん回答を出そう)

 

→アレンジが良くない。(現在、作曲とはアレンジを込みで語られることがほとんど。売れっ子作曲家の提出曲は本番クオリティのアレンジが施されていることがほとんど。モロDEMOクオリティー、みたいなアレンジで提出されることはない。)

 

→メロディに当てる仮歌詞がメロディを更に良くするような形になっていない。(まあ、これは良いメロディが作れて、その次の段階の話ではあるのかもしれないが、とりあえずブレストということで気にせずいきましょう。)

 

→根性がない。(最後はやはり根性が物を言うのは作曲に限った話ではないのかもしれません。)

 

→集中力がない。(時間の経過とともに作業の質が落ちていく、というのは否めないかもしれません。)

 

→自分に甘い。(自分に甘いから、ダメな自分をすぐに許す。集中力を欠いた自分、根性がない自分を許す。その結果、集中力や根性が欠如して、同じことを繰り返す。このことがすべての根本と言えば根本、なのかもしれません。自分に厳しく接する。それを行うのは他の誰でもなく自分しかいないので、だからこそ簡単そうで難しいことだと思います。)

 

 

何だか同じことを言葉を変えて言っているような感じになってきたことと、長くなってきたので、このあたりでブレスト終了

 

 

 

以上、ブレストから出てきた答えをまとめると結論として出てきたのは次の二点

 

採用レベルの曲を作れていない。それは作曲、アレンジ共に技術がその水準に達していないということ。

その技術を身に着けるには、常にその時点で出せる最高の作品を継続して作り続けることが大事で。

ローマは一日にして成らずなので、地道に少しずつ限界値を上げていって壁を越えるしかない。

 

そして、「名曲とは何か」が感覚として備わっていること。名曲の「楽曲分析」、つまりインプットが必要になってくる。

とにかく量が物を言うので、こちらも地道に積み重ねて壁を超えるしかない。

 

 

 

こうしてやるべきことがクリアになりました。

さらに、もう少し簡略化して意識しやすいようにしてみる。

 

 

停滞せずに常に作品を作り、提出し続けること。そして、その作品は常にその時点での自分の実力の限界ギリギリが発揮されていること。

とにかく、古今東西、様々なジャンルの名曲の楽曲分析を行って、自分の中に「名曲とは何か」の感覚を植え付ける。

 

 

 

そして、いざ実行しやすいように、これらをこれ以上シンプルにならないほどそぎ落として「To Doリスト」に落とし込む。

 

①曲を作る。

②楽曲分析をする。

 

ここまで落とし込むと、「ああ、なんだ。 ただ毎日作曲と楽曲分析するだけでよかったんだ。」

そんな素朴で楽な気持ちになれました。なんだか多少は光明が見えたような気がします。(気のせいだったりしてな)

 

こうして書いた自分のブログを読んでみると、「つ、つまらな過ぎる。。。ぅうっ」 (悲)

 

 

次回、「怒涛の楽曲分析」の巻です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コンペに参加し始めて2年ちょっと経ちました。1曲も採用されていません。

採用はおろか、キープになったこともありません。非常に残念な状況と言っていいと思います。

 

始めた当初は、「曲を提出し続ければ、いつかはマグレでも採用されるだろう。」という甘い気持ちでいましたが、

どうやら「そんな空気ではない」ということは理解できました。

 

「才能がない」というのも、痛いところですが、理解しています、、、

そして、「オマエなんか、もうヤメちまえ!」と言われてしまいそうなそんな状況下にいるのではありますが、

今のところまだ「やめたい」という気持ちになったことはありません。

 

こんな状況に陥ったとき、「やめる人」と「やめない人」の2パターンに分かれると思いますが、

幸い自分は後者だったようです。

 

というわけで、現状を打破するために、駄目な部分を改善していかなければ同じ結果がずっと続いていくと思うので、

まず自己分析をしなければ、と考えています。

 

いつだったか忘れましたが、嵐の二宮さんが主演で、立川談志さんのお弟子さんの役をやっていた2時間くらいのドラマで、

談志さん(演:ビートさん)から「自己分析しろ」的な説教を受けるくだりが確かあったと思うのですが。

 

検索してみたところ、ありました。そのまま抜粋します。

 

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【立川談志師匠のモノローグ】

「お前に嫉妬とは何かを教えてやる。

己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、

自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんです。

一緒になって同意してくれる仲間がいれば、さらに自分は安定する。

 

本来ならば相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。

しかし人間はなかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。

芸人なんぞそういう輩(やから)の固まりみたいなもんだ。

だがそんなことで状況は何も変わらない。

 

よく覚えとけ。現実は正解なんだ。

時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。

現実は事実だ。

そして現状を理解、分析してみろ。

そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。

 

現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。

その行動を起こせない奴を、俺の基準で馬鹿と云う。」

(TBSドラマ「赤めだか」より引用)

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いや、、、何ていうか。。。このまま自分に聞かせたいですね。

何はともあれ、まずは自己分析してきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログは放置してTwitterだけ、というスタイルの人が増えているような気がする今日この頃。そんな今から始めるブログ。