今日、自分と同じようなきっかけで同じような時期に同じような場所で精神疾患になった友達と会った。


彼女は高校の同級生で、お互いの辛さも、全部じゃないけれど、少しだけ共有してきた。


こういうのは、少しで大体伝わる。というより全部話しすぎると2人で落ちていくのを知ってるので、キーワードだけつらつら並べるように、第三者的な口調で話した感じが過去も今日もあった。



私たちは自己肯定感が低い。それが家庭環境だとか、恋愛経験だとか、どこからやってくるのかはわからないが、自分のせいだけではないと思いつつ自分を責めている。そこも似ていた。


似ているから、なんだろうけれど、私たちは2人とも広くて冷たくて時々暖かい海を、別々の船で渡ってきた。




私のことをよく分かってくれている大学の友達に、「他人に自分の評価を委ねすぎているんだよ」と言われたことがある。その通りすぎて、何度も自覚していたはずだったのに忘れていた。



私は昔から何となくそんなふうに自信がなくなったらそれを跳ね除ける努力をして、鎧を作って自分を守ってきたつもりだった。それが自分を守る唯一の方法だったのが良くなかったなと思う。


私は、無条件の愛を信じることはできないし、自分に対して信じることができない分、人に優しい。そのままの貴方でいてほしいと心から色んな人に伝えたくなる。


自分を守るための努力と結果が、ネガティブを跳ね除けるのに追いつかない時も絶対にある。ネガティブは生きるためだから。


心が弱っている時、嫌なことを言われた時、体調が悪い時、人と比べて、落ち込んでしまった時。その負の感情を悪いものだと,跳ね除けなくてはと必死になって疲れてしまわないように受け入れる必要があった。


そのネガティヴは敵であり味方であると捉えられたら、きっとよかったのか。今書きながら整理されていく。


私たちは自分を無条件に愛さなくてはならないし、その練習をしたいな。