sixheads-1260さんのブログ

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基本的に私は馬鹿でスケベ。楽しい方へ真っ先に行ってしまう。
なので正直言うと、一生馬鹿馬鹿しいこと言いながら生きてたいんだよね。
でも、今年はマイナスなことが沢山あったもので、例年の様なテンションを保てなかったりするわけよ。
でも、最近は調子が戻ってきたし、ブログのタイトル通りの馬鹿馬鹿しい内容でブログ更新ができるかと思ってたんだわ。
でも、日進市の福島産花火打ち上げ中止のニュースを聞いて憤りというか、怒りを感じちゃったんだよね。
まぁ、違う意味でテンション上がって、ホント迷惑な話なんだけどさ。

なんつうかさ、20人程のあのクレーマー達はさ、福島県民は市内に入るなってことを言いたいのかしらね。
基準値を下回っている物を打ち上げるなってことなんだから、私にはそう言ってる様にも聞こえて仕方ないんだけど、どうなんでしょう?
年齢がどの位の方のクレームなのか存じませんが、言ってることは、福島県から転校してきた小学生を
「放射能、放射能。」
と言って苛めてる小学生と同じ次元なんだよなぁ。
もしこのクレームが大人の方なら、なんか悲しくなっちゃうね。

私は宮城県生まれ宮城県育ち。生まれ育った街は福島に近い。あのパニック状態を乗り切ったりもした。
ホットスポットと呼ばれる場所も実家の近くにはある。
福島は隣県なので遊び行ったり、部活の練習試合や大会でお世話にもなった。なので、郷土愛にも近い思い入れがある。
なので、この文章って読んでる方には、やけに福島に肩入れした文章に見えるかもしれないけどさ、どうしても感情的になっちゃうんだよね。

なんか、こんなことボヤいてる自分も嫌だなぁ。
これは美容に悪いわぁ。
こんなクレーマーのことなんかサッサッと忘れて、バカドリルでも読むことにしよう。
世の中、良い人の方が多いわけだしね。

て事で、バイナラ~。
今は岐阜に住んでるけど、ついこの間までは宮城に住んでたんだよね。
勿論、震災の時もね。

私は会社で被災し、会社は全員の無事を確認後、そのまま解散となる。
帰宅の運転しながら、原発も津波も予想の範疇となっていたのだから不思議だ。
途中、信号の全てが点いておらず、電気が停止していることを知る。
その時、上さんから無事のメールが入りホッとする。
帰宅し、台所で酢のビンが倒れていて、家中が酸っぱい匂いとなっていた。
二階へ上がると、なぜか私のタンスだけが倒れていて何となく切ない気分になる。
それらは、簡単に始末できたので一安心。
その後、水道も寸断されているのを確認する。
電気のブレーカーを下げ、ガスは元栓を締め、余震で揺れる中、実家へと向かう。
実家は酒屋なので、予想通り足の踏み場もなかったが、みんな無事だった。
だが、驚いたのは営業を続行していたことだ。
実家では酒の他に飲料水・ジュース・缶詰め・カップラーメンを置いているので、近隣の人のために開けていたのだ。
母と兄の冷静さに脱帽してしまった。
そんな中で、上さんが職場から私の実家に到着する。
その日の夕飯は、実家の皆と我々夫婦でカップラーメンをすすり、唯一の情報源のラジオに耳を傾け、県内の被害情報を知る。
ちなみに、我が家も実家もプロパンガスなので、ガスは使えたのだった。

翌日から上さんは看護師なので朝から出勤。
私は会社が停止しているので、食料調達に5時間はスーパーの列に並んだ。その間、列の前後の人と話し、知らない者同士で少し仲良くなれた。
しかし売場に入れば、選ぶ余裕もなく手当たりしだい籠に詰め込み、10分で買い物を終える。
その後、近所で川の水をバケツに汲み、トイレ用に常備する。それが終われば、給水所へ飲料水を汲みに行く。
でも、スーパーほど並ばないので、給水所に並ぶ方が楽だったなぁ。

電気が復旧したのは、その10日後だっただろうか。
近所の豚カツ屋の電気が点いているのを見て通電に気が付いたのだった。
なんか凄く嬉しかった。それは、ボクシングで勝利した時の歓喜によく似ていた。
ガッツポーズしちゃったしね。

そして、ついにマイカーの給油ランプも点く。上さんの車の給油ランプも同様だった。
上さんは通勤しなくてはならないので上さんの車を優先させる。
ある日曜、夜明け前に起床。
近所のガソリンスタンドに車で並ぶ。とは言っても長い列ができている為、ガソリンスタンドからは約2キロ離れた場所に並んでいた。
その数時間後、ガソリンスタンドのスタッフが整理券を配布しに歩って来た。我々はそれを受け取ると、ガソリンが入れられる確証が得られた気がして安心した。
上さんは記念に整理券を写メに撮っていた。
給油量は20リットルと決まっていたが、これで2週間は乗り切れると思うとありがたい気分になった。

それから徐々に色んなことが安定してきた。
それと同時に友人や知人の訃報が舞い込み辛く沈み込むこともあったし、今も時々そうなる。
なので、生けてるだけで運が良いんだよね。と、私はあの日以来そう思うようにしている。

そんなことが、まだ半年前の出来事なんだよなぁ。
なんか上手く言えないけど、沢山の人の心配や支援が、ただただ心に染みた時だったと思う。
岐阜へ来て1週間たつわけよ。
義理の父母も義姉も何かと気を遣ってくれて、とても有り難い。しかし、そう気を遣われると、逆に肩身が狭く感じてくる。
なんせ宮城の大自然の中、野放図に育ったもので気遣いとは無縁な私には、大変良家な妻の実家は、気遣いの塊の様に見えてしまう。
あ、義理の父母たちのことは大好きなんだよ。
ただ、住居が別な方がバランスとれたりするわけよね。

なので、不動産屋さんに脚を運んでみた。
まず、その不動産屋さんのスタッフの第一印象が凄かったわけよ。
なんたって、全部見えちゃうんじゃね?てぐらいに胸元は開いてるし、これでもかってぐらいにタイトスカートのスリットは深いわけよ。
もう、これは岐阜に来て以来、最大の衝撃。というか、ドキドキしたわぁ。
そんなドキドキは何処か置いといて、早速物件を見に行く。
しかし、そのスタッフさんは、服装と裏腹に素晴らしく説明上手。
質問をすると、丁寧に解りやすく教えてくれる。もう、服装のことなんて忘れちゃうよね。
ゴメンなさい。嘘です。
チラ見してました…
そんな感じで、解りやすい説明と目の保養を終え、無事に帰宅。

あぁ、昨日は良い日だったなぁ。
それにしても、こんな話で締めちゃうのも何だよなぁ。でも、他に特記事項が無いんだよなぁ。

つう訳で、次はもっとまともなこと書きます。