高速道路を一人で走りつつ、ふと、思いついた。

「許す」ということはいったいどういう現象なのか。

憎いという表現ではとうてい足らないほどの感情を長年特に父親に対して持っているが

父親は父親で様々な要因があってそういう人格になったのであり

私という失敗作を見て絶望し不幸のどん底まで苦しむことになったのかもしれない

どんな悪人でもどんな不出来な生物でも、そういう構造で生まれてきたからそうなったので

 

基本的に私は人が人を裁くことはエゴだと思っている

しかし実際に被害を被る立場に居るものは、「正義」を盾に自分を守らなければ自分が死ぬことになるのだ

それは現実的な問題から「許さない」「許せない」と表現しているだけなのだ。

 

なぜそうなったのか、主となる原因があるにしろないにしろ

人知を超えたものの視点から見たらただの計算から得たアウトプット、ただの現象でしかないだろう

 

さて、そんなふうにメタ的認知から考えると、

現実問題を解決するための「正義」からくる「憎しみ」「苦しみ」、ネガティブな感情が実は打算的な思考回路から生まれたかもしれないとすると? 苦しみから抜け出すためのバイパス、じゃなかったバイアスがそれらの感情だったとすると?

 

コモドドラゴンに食べられる小鹿が何を「許す」のだろうか

究極の理不尽、加害者と被害者にとって現実とはなんなのか

「許す」というのはなにか、今まで生きてきた経験や知識とは別の何かではないのか

そこらへんで、現実的な明日の準備しなきゃいけないなと思い出し

思考をこの辺で切り上げることにする

 

でも、この疑問は今後も考え続けることになるだろう

 

他の所に書こうと思ったけど、時間もないし

ちょうど海王星土星が歴史的な移動をしたところだったので無理やり繋げて日記として書いてみた