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九条が動き出したのはそれからそう遅くはなかった。
「玉森の君…」
何を考えているかわからない、静かな眼で部屋に入ってきた九条はどこか覚悟を決めたような表情をしていた。
「…」
ついに来たか、と思った。
九条が手にした手紙は亀梨の君が筆跡を真似て書いたもの。
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玉森の君と対峙した竜也の君は膝を寄せた。
「九条は必ず、玉森の君に、流罪になった太宰の帥の元へ一緒に行こうともちかけてくるはず。必ず一緒に行動すると答えるんだ、いいな?」
竜也の君が念を押す。
玉森の君は手紙を開いて目を疑った。
『左大臣家に火を放つ前に、頭を立てて挙兵したい。太宰の帥を先に逃がす』と、手紙にはそう書いてあったのだ。
玉森の君は怪訝そうな顔で竜也の君を見返した。
本当に太宰の帥を逃してくれるのか?
本当の目的は別にあるんじゃないのか?!
何を信じていいのかわからない世界で、相手を信じるに値するかどうか、その判断は自分自身にかかっている。
その心情を知ってか知らずか、竜也の君が見せた手紙をたたみながら話し始めた。
「この手紙を本物の手紙とすり替えようと言い出したのは亀梨の君だ」
「?!」
亀梨の君は竜也の君にこう言った。
「太宰の帥はもしかしたら、大納言に話を持ちかけられて、はめられたのかも知れません。今、また九条がその罠にはまろうとしているのなら…こちらも罠を仕掛ける必要があります」
もともと玉森の君が住まう少納言邸は、左大臣家の流れを組む親族が多くいる家柄。
つまり仁の君の父親が持つ派閥に与(くみ)している家柄なのだ。
玉森の君は、当初、父親の流罪にショックを受けた。
ショックを受けたのは、流罪になったこともあったが、それよりも、流罪の一切を取り仕切ったのが同じ派閥である左大臣家子息である仁の君が行ったことが大きい。
最初は亀梨の君が「左大臣家保身」のために、仁の君に入知恵をして、太宰の帥を切ったのだと思った。
同じ派閥の分家を切ることで、本家の保身を図ったのかと。
「それは違うよ」
疑う玉森の君に本当のことを告げたのは中丸の君だった。
自分の実直さを「血筋」や「派閥」関係なく、玉森の君自身を見て亀梨の君が玉森の君を都に置くよう進言したのだと。
「…」
「亀梨の君の人を見る目は確かです。私はそれを信じている」
「中丸の君…」
「彼が玉森の君を助けたいと言ったんです。右大臣家がどう思うかは正直、知ったことではありません」
「お前が言うなよ」
すかさず竜也の君が不服そうに睨んだが、中丸の君は不敵に笑みを返した
「私たちは亀梨の君を信じています。家は関係ない。玉森の君はいかに?亀梨の君を信じる覚悟はおありか?」
「…」
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「玉森の君」
ハッとする。
九条がじっと玉森の君の様子を伺っている。
「その手紙は?」
知らないふりをした。
九条は亀梨の君がすり替えた手紙を大切そうに開くと玉森の君に見せた
「父君を助けたい。そうは思わぬか?玉森の君。今こそ動く時かと。流罪となっている父君を逃がしに
行きたい。今当家の頭は玉森の君。この九条に力を貸してはくれぬか」
実際に流罪の地に足を運び、父君を逃がすー
竜也の君の「頷け」という表情が脳裏を過(よぎ)った。
「九条、それは挙兵して左大臣家に抗うということか?父君もそれを望むと思うか?」
「…」
九条は少し考えて首を振った。
「太宰の帥はそのようなことは望んではおらぬかもしれない。だが、そんなお方だからこそ、私がいるのです。太宰の帥を立てるためなら、私がいくらでも罪をかぶりましょう」
「当首が望まないのにか?」
「氏の勢力を保つには、手荒な手法も必要なこと。生ぬるいことばかりしていては、また大納言邸の策にはまるばかり」
「!?」
大納言邸の策?!
九条は何か知っている?!
この都は細い糸で均衡を保っている。1本でも切れたら均衡が崩れてしまう。
知っていた方がいいこと
知らない方がいいこと
知りたくないこと
九条の話を聞いたら何かが崩れてしまうような気がして、玉森の君は一瞬ためらった。
が…喉から絞り出た声は心の声とは真逆の言葉だった
「何か…知っているのか?」
「…太宰の帥は無罪です。これは太政大臣の陰謀です」
「太政大臣!?」
驚いた。
太政大臣は天皇家に次ぐ位の高い公達。
そして、竜也の君のいる右大臣家の派閥であった。
玉森の君の父である太宰の帥は、左大臣家に尽力を注いできた家柄。
強大な勢力を誇る左大臣家は、右大臣家の流れをくむ太政大臣にとっては目の上のたんこぶ。
だが、容易には叩けない。
ならば…左大臣家を叩くよりも、その足元で支えとなっている太宰の帥を失脚させることで左大臣家の勢力を弱めた方が得策。
九条は悔しそうに顔を歪めた。
「どんなに仲が良くても位の高い公達の命には逆らえない。太政大臣直下の家臣である大納言は太宰の帥失脚の計画を断ることはできなかった。だから、あの日も…」
「・・・」
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ひどい嵐だった。
雷が御所の庭に落ち、大切な大岩が真っ二つに割れた。
が、割れただけでは済まなかった。
裂け目に熱がこもり、庭にあった草木に火が燃え広がりそうであったという。
太宰の帥は岩を叩いていたのではなく、必死にその残り火を消そうとしていたのだ。
その光景を「好機」と捉えた太政大臣は、大納言から「太宰の帥が災いを運んだ」という噂を流すよう指示を出したのだ。
落雷の恐怖で慌てふためいていた公達がその噂を鵜呑みにするのに時間はかからなかった。
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「大納言は謝りたいと…太宰の帥を助けたい、と…そう私にもちかけてきたんです。太政大臣に入れ知恵をしたのは左大臣だと…」
「?!」
この都は細い糸で均衡を保っている。1本でも切れたら均衡が崩れてしまう。
左大臣家の派閥を汲みながら、大納言と仲の良い太宰の帥を左大臣がよく思っていないのだと、それが事の発端だと九条は言った。
亀梨の君は、九条が大納言の罠にはまっている、と、そう言った。
玉森の君の脳裏に、竜也の君の真っすぐな表情が…
そして、中丸の君の真剣な顔が浮かんで消えた。
『私たちは亀梨の君を信じています。家は関係ない。玉森の君はいかに?亀梨の君を信じる覚悟はおありか?』
「…俺は…」
玉森の君はこぶしをぎゅっと握ると九条を正面から見据えた。
「わかった。九条、一緒に父君を逃がしに行こう」
竜也の君に言われた通り。一緒に行く…そう答えてしまった。
言ってしまってから、ふーっと息を吐いた。
まだ少し震える手をそっと胸に当てた。
-九条の言葉を信じるか…竜也の君の言葉を信じるか…
『和也がお前を助けたいって言ってるんだよ。俺らと左大臣家、陰陽の頭(かみ)がついてる。お前の望みは叶えてやる』
竜也の君の真剣な表情が浮かんで消えた。
どこの御代から来たのかもわからない不思議な男子。
和也が俺を助けたいと…そう言ってくれた言葉を今は信じてみよう。
そう思った。
和也、俺はお前を信じる。
だから俺は…
命がけで九条を止める
【To be continue....】