『第43番札所~45番札所』
第43番札所(明石寺)
欽明天皇の勅願により、円手行者が千手観世音を安置し、七堂伽藍を建立して開創し、後の天平六年(七三四)には寿元行者が、紀州熊野より十二社権現を勧請して十二坊を建立し、修験道場として法灯を伝承した。やがて弘仁十三年(八二二)弘法大師が巡錫し、嵯峨天皇の勅願により荒廃した伽藍を再興して霊場に定められた。また、建久五年(一一九一)には源頼朝が池の禅尼の菩提のため阿弥陀如来を造顕し、経塚をきずいて堂宇を再興し、山号を「源光山」に改めている。現存の御堂は宇和島藩主伊達氏が寛文十二年(一六七二)に建立したもの。第三十五世の尊栄が西園寺氏と縁戚関係を結んでから、寺は明石家代々の世襲による管理となった。次の大宝寺への途中、大師が橋の下で一夜をすごされた番外十夜ヶ橋がある。
第44番札所(大宝寺)
久万という老女が大師と出会い、その名が地名となった久万町は、海抜四百九十㍍の高地にあり、大宝寺の境内は樹齢数百年の杉や桧の老樹が林立し、幽寂な空気がただよう。寺は大宝元年(七〇一)に、百済の僧がこの地に草庵を結び十一面観世音を安置したのがはじまりで、後に開削当時の年号にちなみ、大宝寺として創建され、やがて弘法大師が霊場に定め田。保元年間に後白河法皇が、元禄年間に住持の雲秀法師がそれぞれ再興し、現存の本堂は大正十四年の再建。
第45番札所(岩屋寺)
弘仁六年、弘法大師がこの地を訪れた時、怪岩奇峰の深山に、不思議な神通力をもった法華仙人と称する女がいた。この女は大師に帰依し、一山を献じて大往生をとげた。
そこで大師は不動明王の木像と石像の二体を刻まれ、木像は本堂へ、石像は山に封じこめ、山そのものをご本尊不動明王として護摩修法された。そして寺号を海岸山岩屋寺と名づけた。険しい坂道で息切れしました。
猫と鈴




















