タオルを用意してください。
私は、しょっぱなから号泣でした。w^^;









ばーちゃんが亡くなって、1年と5ヶ月。
『死』について色々と本を読みましたが、この本は本当に本当におススメです。



どれぐらいおススメかと言うと、本を年に1冊買うか買わないかの私が、昨夜2冊買ったぐらいです。www^^;
1冊は両親に読んで欲しいので買いました、もう一冊は塾文庫に置きます。。。子供らに読んで欲しいからです。



ばーちゃんは、胃瘻をしました。
母は、自分のエゴである自覚の上で、お願いしたと言ってました。



それは、それでアリだと思います。
一秒でも長く生きていて欲しい、ぬくもりさえあれば良い。。。というのもアリだと思います。



が。。。私は自分自身にその時が来たら、楽に死なせて欲しいと思います。
『死』についての本を読み漁って分かったことがあります。



それは、自然死は楽だということ。
また、嚥下出来なくなったら、その時だということ。



もちろん、まだお子さんが小さかったり、お孫さんが生まれたばかりという時期であれば延命に懸命になるべきだと思います。
しかし、その延命が、人間の尊厳を壊すたぐいのものはどうかと思います。



日本は、急速に高齢化したことや医者に特権を与えたことなどから『死』を覆い隠しているので本当のところどうなっているのかが分かってない人が医者を含めて大多数です。
欧米では、寝たきり老人がほとんど居ないという事実すら知らない人が多いでしょう。



嚥下出来なくなったら、医者ではなく牧師の出番だというコンセンサスができているのです。
前々から思ってましたが『生きるとは食べる』ことなのだと。



『近代医学というものはそれまで病人の全体と周囲に向けられていたまなざしが、病人のからだの中の出来事だけに向けられたことによって始まった』とは、フーコーの言葉ですが、これって現代の医者は、人ではなくモノとして見てるということと同義だと思います。
尊厳なく孤独で生きている理由も無く痛みと毎日向き合わねばならない老人となったら、私は断食死をしようと思いました。



でも、怖がらないでください。。。嚥下できなくなった人は、2週間ぐらいで安楽に死ねるのです。
医療で無理やり生かされなければ、の話ですが。。。



実は、今週末、ひいじいちゃんの33回忌で四国に両親の運転手として行きます。w^^;
その時に、本とリビングウィルを両親に渡すつもりです。



リビングウィル(尊厳死の宣言書)は、ネットにもあります。。。コチラ




人は、生まれてきたら必ず死にます。。。佛教の言葉の『四苦八苦』の四苦、生老病死は、定めです。
それらを病院の中に閉じ込めて隠すのではなく、真摯に見つめることの方がよっぽど大事だと思います。



ばーちゃんの死を契機に色々考え、たどり着いた考えです。
ばーちゃん、ありがとう。^^



ねがわくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ



西行のように逝きたいものです。^^
ということで、今日は重い話でしたが最後まで読んで頂いてありがとうございます。m(__)m