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【今日の映画】





挑発するローラ~寺山修司の実験映画







「ローラ」
監督 寺山修司  1974年 日本 



寺山修司は比較的早い時期から多数の実験映画を自主制作してきたが、短編映画「ローラ」は、その中でも極北に位置するような作品である。
これを実験映画と言わずして、なにを実験映画と言えるだろう。
この映画の最大の特徴は、映像とパフォーマンスを融合した点にある。
映画の内容は次のようなものだ。
スクリーンには、三人の娼婦がソファに腰掛け、こちら(我々観客)にむかってさんざん挑発的なことをいい、ポーズを取る。すると、突然(実際の)客席の中から一人の青年が立ち上がり、娼婦たちの挑発に反応する。スクリーンに向っていき、青年はスクリーンの中に入ってしまう(実際はスクリーンにスリットができていて、そこからスクリーンの向こう側に消える)。するとスクリーンには娼婦とさきほどの青年が映っていて、青年は娼婦達にさんざん慰み者にされ、やがてスクリーンから追い出される。娼婦達はふたたび観客に挑発を続ける・・・・。
こんな内容の映画である。
現在では、例えばスクリーンに映像を映してその前でパフォーマンスが演じられたり、スクリーンとやりとりをするような演劇もあるかもしれない。
だがこの映画が作られたのは1974年で、今からおよそ40年も前に寺山修司はこんな映像とパフォーマンスの融合を試みていたのだ。
とはいえ、この映画はたんに映像とパフォーマンスの融合を目指しただけではない。
実験のための実験を行っただけの映画ではない。
ここには寺山修司の独特の観客論がモチーフとして描かれている。
寺山修司のというか、寺山が率いた「劇団天井桟敷」の演劇の特徴のひとつに、観客論があった。特に後半の野外劇を積極的に行うようになる頃の天井桟敷は独特の観客論を主張していた。
天井桟敷の芝居では、観客が劇に積極的に関与することが求められる。観客は客席という安全な場所にいることを許されない。時に客席に向って舞台からラグビーボールが飛んでくることがあったり、舞台の役者から観客が激しく挑発されたり詰問されることがある。
海外の演劇祭に招待された際の上演で、出演者から挑発された批評家が怒り出してトラブルになったことがあるそうである。
野外劇の代表作「ノック」では、高円寺から阿佐ヶ谷にかけて何箇所かの路上や公園、空き地で芝居が行われ、観客は渡された一枚の地図をたよりに芝居が行われている場所を探して歩くという演劇だったそうだ。このノックでは芝居に何の関係もない一般の住宅まで巻き込み、警察に通報され、当時は新聞の社会面を賑わせたらしい。
かように天井桟敷の後期の演劇では観客の主体的な行動が要求されることが多かった。
「ローラ」では、この「虚構に巻き込まれる観客」の姿を描いていた。
いわば寺山修司の「観客論」を映像化した映画であった。
この場合、観客が生身の人間であることによって、「虚構に巻き込まれる」インパクトが際立っていた。
寺山修司による映像とパフォーマンスの融合は、決して奇を衒ったものではなく、必然性のある試みだったのだ。


※この映画が上映されるたびに上映会場まで出向き、映像の中に入ってしまう男を演じ続けた俳優を追ったいっぷう変わったドキュメンタリー「へんりっく」が数年前に制作・公開されている。



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