江戸時代ちょっと面白い生業|損料屋と焼継師 | 劇団岬一家みんなのDODODO

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岬一家専属スタッフキャベツ寛太郎も!

江戸時代、すでにレンタルショップが

あったのをご存知でしょうか?

もちろん蔦屋さんではありません(^_^;)

 

江戸時代からすでにこのような

レンタルショップがあったのだなと

珍しく思い、今回記事にさせていただきました。

 

 

 

今日も読んでいただき

ありがとうございます。

感謝しています ^ ^

 

今日一日みなさんが

少しでも笑顔で

ありますように ^ ^

 

こんにちは。。。

キャベツ寛太郎です ^ ^

 

 

お馴染み江戸時代の生業。

今回ご紹介させていただくのは

まさかのレンタルショップが

江戸時代すでにあったということ。

 

そして、現在のように、物がたくさん

あったわけではない江戸時代。。。

物を大切に長く使うために

必要だった生業。。。

 

この二つをご紹介させて

いただきたいと思います ^ ^

 

 

 

江戸時代の生業「損料屋」

 

損料屋(そんりょうや)とは

現代でいうところの

レンタル屋さんです。

 

レンタルしている物は

布団や蚊帳(かや)、宴会用の

食器、着物などなどあらゆる物を

レンタルしていたと言われています。

 

長屋の庶民には、季節物をレンタル

することが多かったそうです。

 

また、布団などの寝具を多く使う

ことから、女郎屋はお得意様でした。

もちろん破損などがある場合は

弁償しなければいけません。

 

 

 

江戸時代の生業「焼継師」

 

焼継師(やきつぎし)とは

日用品で使われている瀬戸物。

これを修理する職人のこと。

 

その修理方法は、ガラス、鉛を混ぜ

作られた“白玉粉”という接着剤で

割れた瀬戸物の組み合わせ

その後、焼きを入れ修理をしていました。

 

また、高級な食器ですと

金継(きんつぎ)という方法で、金、漆で

接着、修理をしていました。

 

当時食器はとても高価なものでした。

このことから、新しく買う

というよりは、修理をして長く使う

 

というのが一般庶民の

考えだったようです。

 

現在ですと、100均で買ったお皿。。。

うっかり割ってしまったり、かけて

しまったりしても、つい

100均だし、また買えばいいか」と

なってしまう傾向があるようです。

 

 

今はとても便利で物がたくさんあります。

その中でも、一つひとつの物を

大切にする気持ちは忘れたくは

ないものですね ^ ^

 

 

 

ということで今回は

「江戸時代ちょっと面白い生業|損料屋と焼継師」

でした ^ ^

 

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それでわぁ~

キャベツ寛太郎の写真館♪

 

写真切れのためお休み中です。

写真が入手できましたら

また載せますね ^ ^

 

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それでは今日はこのへんで

最後まで読んでいただき

ありがとうございます ^ ^

 

今日もこうして読んで

いただけたことに感謝しています

また次回お会いしましょう ^ ^

 

キャベツ寛太郎でした ^ ^

 

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