妹が亡くなって49日が経ち色々と考える日々を過ごしてきた。

やっと最近整理らしきものがついて文章にしておこうという気持ちになった。

 

彼女の死は(まさか今なのか・・・)という気持ちで受け止めた。

 

そしてマンションへ行ったときに(ここまで彼女は病んでいたのか・・)と思った。

 

病んでいるのだろうとは思っていたけれど現実を見ていなかったこともあって

現状の進み具合に驚いたし哀しかった。

 

だから、もっと早く気づいてやれなかったのか・・・とか様々なことが脳裏に浮かんでは消える…日々が続いたのである。

 

しかし起こってしまったからにはいくら反省や悔いを感じても仕方がないので

受けとめて(何をどうしていこうか・・・) という思いが浮かんできた。

 

私が思ったのは「掃除」と整理・片付けである。

 

年を取ると確かに体を動かすのが億劫になり、それを口実に最近は日々を過ごしていたのだが、これではいけない~ と痛切に思うようになった。

 

整理・片付け・掃除は自らの心の現れだと思うようになったのだ。

 

その意味では体がしんどいとか疲れるから~ などとは言っておれないと思うようになった。

 

そして、それが妹への追善供養だと思っている。

 

彼女が教えてくれたことであり彼女が出来なかったことだと思うのだ。

 

アルコールという大きな課題はあるけれど、とりあえず暫くは整理整頓・掃除を

日々の課題として行おうと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

2年ぶりに此処に来る。

名前もパスワードも記憶の底に沈んで、なかなか浮かび上がってこなかったけど

なんとかブログにたどりつけた。

 

昨年、彼女がついに逝ってしまったので日常生活は楽になったが

体調は相変わらずでグラついている。

 

身体の痛みについて考えていると自分は生きていくことが楽しめていないから

このようなことになっているのかも… と思うことがある。

 

むろん楽しいことも沢山あったのだが底辺で楽しめない自分が居たような気がするのだ。

 

ま、しかし過ぎた時間のことは思わず前だけに向かうのが賢いとは思っている。

 

私は自分に出来るだけのことはしたのだ。

去年からそう思っている。

 

そうさせてくれたことにも感謝している。

ありがとう。

 

あとは楽しいことをしながら体調を回復したいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 


最近、年をとったせいか時々ふっと人生を振り返ったりする。


そして、まぁまぁ満足だな・・・ と思ったりもしている。

そう悪い人生では無かった、という意味でだ。


しかし、もっと真摯に生きるべきだったような気もしている。


出発点で妙な失望感にとらわれたことがいけなかったのかもしれない。

がむしゃらさに欠け、もっと自己に忠実に望みを追えば良かったと今ごろ思う。


でも、よい人生だった。

これらを少しでも覚えておくことが出来たら次はもっと良い方向に行けると思う。


自分の足跡を肯定できるようになったのは自分自身にとって幸せなことだ。



生きてきて良かった。

今はそう思っている。


体験しなければ解らないことばかりだった。