宮台さんの語る言葉の自動機械・法の奴隷について。

 

現代、あらゆるメディアが、

言葉の自動機械化を前提とした

インターフェース作りに向かっている。

 

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自分の常識が脅かされるコンテンツには

過剰に反射する。

 

敵と味方を分化し、

敵は叩き、味方は過剰に擁護する。

 

言葉の自動機械化は、

人間精神の野獣化に近いと感じる。

 

法の奴隷化は、

戦時中となんら変わりのない状況に感じる。

 

言葉の自動機械と法の奴隷によって構築されたマスは、

インターネットによって一見細分化されたように見える個性を

どんどん没個性化する。

 

日本人はそもそも、没個性化するように

デザインされているのかもしれない。

 

しかし、没個性化されることに気づくと、

それを嫌悪するというアンチ性が発動する。

(これもある意味非常に没個性的だが)

 

ここに対してマーケティングをすることは、

ただ、IT化された抽象度の高いマスに対して

洗脳行為を行うよりは誠実かもしれない。

 

言葉の自動機械に対して、

自動化に対し、疑念をもつ自動精神を

活用するための反射的販促作用。

 

遅いインターネットという概念は

この点における一つの答えになるとおもう。