蘭溪道隆禅師遺偈 | 古代文化研究所:第2室

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○前回案内した「蘭溪道隆禅師年譜」の中に、『蘭溪道隆禅師遺偈』と言うのがあって、気になった。『偈』については、ウィキペディアフリー百科事典に、次のようにある。

      偈
   偈(げ、gaathaa(sanskrit))とは、仏典のなかで、仏の教えや仏・菩薩の徳をたたえるのに韻文
  の形式で述べたもの。「偈陀(げだ)」「伽陀(かだ)」とも音写し、意訳して「偈頌(げじゅ)」
  という。
  【中国日本の偈】
   禅僧などが悟境を韻文の体裁で述べたものを「偈」と呼ぶ。中国の偈は押韻しているのが普通であ
  るが、日本人の詩偈と呼ぶ儀式に使用される法語には破格のものも多い。
   僧の作る偈と、普通の詩の体をなす韻文とを差別する漢詩研究者も一部では存在する。
   なお、インドのガータ(重頌および狐起頌)と漢詩の成立では、前者のほうが古いとされている。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%88

○蘭溪道隆が亡くなったのは、弘安元年(1278年)7月24日の『未(ひつじ)時』だと言うから、現在の午後2時頃であろう。享年66歳。『蘭溪道隆禅師遺偈』は、次の通り。

    用翳睛術
    三十餘年
    打翻筋斗
    地轉天旋

○『蘭溪道隆禅師遺偈』が偈である以上、当然、どのように読むかが問われる。それが『偈』である。本来、無知無学な私などには読む資格も無いのであるが、目にしたからには、触れないのも失礼な話である。一応、次のように読んでみた。

【原文】
  蘭溪道隆遺偈
    用翳睛術
    三十餘年
    打翻筋斗
    地轉天旋

【書き下し文】
  蘭溪道隆遺偈
   翳睛術を用ゐて
   三十餘年、
   筋斗を打翻すれば、
   地は轉たし、天は旋る。

【我が儘勝手な私訳】
  蘭溪道隆遺偈
   佛に導かれるまま、
   日本へ来てから三十餘年、
   仏道三昧に勤しんで来たつもりだが、
   人の一生とは、おおよそ、こんなものか。

○蘭溪道隆は、何も日本に来る必要など無かった。彼の能力なら、中国で存分に実力が発揮出来たし、素晴らしい業績を残すことが出来たに違いない。そういうものを振り捨てて日本へ来たのが蘭溪道隆なのである。私たち日本人が感謝しないで、誰が感謝すると言うのだろうか。

○蘭溪道隆禅師が剃髪した寺、四川省の成都、大慈寺に参詣して、蘭溪道隆禅師のことを知り、大いに触発させられた。ここで、蘭溪道隆禅師について、何もものしないでは、日本人として恥ずかしい。そういう意味で、
  ・書庫「武侯祠と杜甫草堂:成都」:ブログ『蘭溪道隆』
  http://blogs.yahoo.co.jp/sigureteikamoyama/39645498.html
  ・書庫「武侯祠と杜甫草堂:成都」:ブログ『蘭溪道隆禅師年譜』
  http://blogs.yahoo.co.jp/sigureteikamoyama/39649547.html
  ・書庫「武侯祠と杜甫草堂:成都」:ブログ『蘭溪道隆禅師遺偈』
  http://blogs.yahoo.co.jp/sigureteikamoyama/39651308.html
を書いたつもりである。

○大慈寺に参詣したからには、当然、蘭溪道隆禅師の業績行跡を顕彰する責務がある。そういう思いで、このブログを書いたつもりである。それに相応しい文章ではあるかは、甚だ疑問であるけれども。

○鎌倉の建長寺には、これまで数回参詣している。鎌倉は偉大な田舎だと私は思っている。それくらい大好きな町である。今から737年前、その建長寺に没したのが蘭溪道隆禅師である。