ナベタの徒然なるままに -11ページ目

ナベタの徒然なるままに

わすれないように
わすれてもいいように
メモメモ

道をきかれたり助けを求められることがよくあるのはメガネだからかと思っていたけど
今日の相手は目が不自由な方だった

何度行っても覚えられない苦手な街、神保町ど真ん中
白い杖を持った男性が路地から出てきて、ちょうどすれ違うタイミングで「すみません!!」と大きな声が聞こえた
私に向かってというより、誰か気づいて欲しい、という呼びかけだった
咄嗟のことで何と声を掛けたか忘れたけど
聞くと「白山通りのマツモトキヨシ」を目指していて迷ってしまったらしい
マツキヨ…どっかにあったぞ…あわわ…ケータイで地図を…表示が遅いぜこんちくしょぅ…
私が慌てる顔はおじさまには見えておらず
すっかり信頼されてしまって引き下がれない状態
(スマホならズバッと地図見れて便利なんだろうね)
右手に遅いガラケー
左肩におじさまの手を乗せ
無頓着な自転車や通行人を避けながら
白山通りと靖国通りが交差する神保町交差点にたどり着くと
おじさまは方向が分かった様子で
丁寧な御礼を言って白山通りをズンズン歩いていった
違法駐輪に白い杖をぶつけながらズンズン歩いていった

はあ…大変だな
見えないということは本当に不便だろう
目印や目標を頭に浮かべて想像力をフル稼働させてるんだろう
目印とか目標とかって結局は「目」なんだろうし

それにしても路上駐輪のジャマなこと

目的地まで少し距離があったけど、ついて行かなくて大丈夫だったろうか

誘導する時は肩に手を乗せてもらうのが正しいやり方なのか


善いことをしたなんて思わない
どんな対応がベストだったのか?今もモンモンと考えている


一時期、耳が聞こえなくなるかもしれない恐怖感を経験した
今も完治はしていないし、いつ何が起きるかも分からない

不安ばかり募らせても仕方ないけど
不安に思っている人がいたら少しでも手助けになれるように
知識だけでも持っておくべきだな

今日出会ったおじさまは顔立ちは至って普通で、白い杖がなければ目が悪いことも全然分からなかったと思う
大声でSOSを発信できることも、心構えとしてきっと大事だ


まだモンモンとしてるこの事を忘れたくなくて、長いメモ。
気づけば年も改まり
あれから1周年

3月11日

365日前の今日は
いつも通りに出勤し
いつも通りの仕事をしていた

web調査の入稿日だった
取引先と何度かやり取りしてメール返信を待つ間
遅めのランチで駅近くの2階にあるカレー屋にいた
食後のお茶をすすりながら
眠いなー、会社戻りたくないなー、
なんて言った矢先の揺れだった

店内の客も店員さんもみんな外に飛び出した
道路が揺れ 車はストップしていて
信号も街路樹もビルも大きく揺れていた

感じたことのない感覚だった

幸いにも同僚と一緒だったけど
一人だったら相当パニックになっただろう

震源は東北だとTVで流れていた
うちの田舎の宮城北部あたりで頻発していたこともあり
その辺だろうと直感した
東京でこんなに揺れたら向こうはどれだけだろう

職場のある駅ビルに向かうと
改札の上にあるモニターでは
日本列島の太平洋側がすべて点滅していた
津波警報だった

エレベーターが止まってしまいビルには入れない
エスカレーターで駅ビルのレストラン階まで行くと
天井の一部が崩れ落ちていた
このビルは駅の上だから絶対安全だって言われてなかったっけ・・

お店の方がイスを貸してくれ
とにかく座って落ち着いて
弟と義妹と仙台の従姉にメールを入れる
仙台から返信は
家の中がメチャクチャだけどひとまず無事
という内容だった

自宅には電話がまったく繋がらない
チケットの発売日と同じ現象と思い
こちらの連絡はちょっと保留

そこへ同じフロアの部署の人たちが通りかかり
「会社にいなくてよかったなー」
と言われる

どういうこと!?

裏階段を使い 6階から14階まで駆け上がる
よく見れば壁も天井もパラパラ崩れていた

気持ち的にも体力的にも心臓バクバクで
ようやく自分の部署へ戻ると

メチャクチャだった

デスクもPCもコピー機も冷蔵庫も
元あったところから移動していて
バッタリと倒れてきたらしいキャビネに
同僚のデスクが潰されていた
いなくてよかったって コレのことか

私たち2人の安否確認が取れたところで
我が部署は全員の無事が確認された

Macがある作業用別室もグチャグチャで
もう笑うしかなかった

デスクまわりを片付けながら
再度自宅に電話をかけてみる
何度かかけてつながったが 出ない
もう母が帰っているはずの時間なのにと焦る
近所に住む伯母に電話し家の様子を見てきてとお願いする
10分後 母無事との電話がきた
田舎は内陸だから大丈夫 とのことだった

父の携帯は全然繋がらなかったけど
小学校勤めで児童の安全が最優先だろうと思い
それ以上連絡はしなかった

それからは皆TVにクギづけだった
見たこともない映像が流れ続けている
大津波が押し寄せているところだった

もう仕事どころじゃなかった
電車は完全に止まったらしい
皆徒歩帰宅ルート検索を始めている

取引先には入稿日をずらすこととこちらの無事を報告した
隣の部署はCM素材差し替え等の対応に追われていた

さてこれからどうしたものか

暗くなり風も出てきて寒い
帰る人には非常食セットが支給されたけど
持って歩くにはけっこう重い

しばらく上司がいないと思ったら
近くのスーパーで総菜やらバナナやらを
あるだけ買ってきてくれていた

こういうときに性格や人柄が如実に表れる
尊敬する上司だけど このときは殊更 後光すら見えた

おにぎりやパン 飲料は根こそぎ売り切れていて
道は歩き移動の人で溢れているらしい

それを聞いて 会社に残る決断をした

途中の道のりに土地勘はないし
この暗闇を一人で20キロ以上歩き通す自信はなかった
会社にいればとりあえずは暖が取れる
TVは点けっぱなしにしてくれるとのことだった
飲み物とカロリーメイトは常備してある

会社に残る報告の電話をすると 母が出た
家は大丈夫だから 明るくなってからゆっくり帰ってきなさい
つとめて明るい会話であったが
田舎とまだ連絡が付いておらず心配そうだった

地下鉄が運転再開を伝え始めると皆次々に帰り出した
人が減ってくると不安に駆られた
余震が続く
携帯の緊急地震速報はひっきりなしに鳴った
TVでは津波と火災の映像が流れ続けていた

コートとマフラーをぐるぐる体に巻き付けて
イスを並べて横になったけど眠れなかった

同じ部署には自分を含め5人が残り
お互いに疲れを労いながら過ごした

朝7時すぎ
電車運転再開と聞き外に出てみたが実際には動いていない
結局地下鉄を乗り継いで帰ることにする
荻窪までは比較的スムーズに出られたが
中央線は本数が少なくノロノロ運転
点検者が運転席に同乗している
線路の安全確認をしながら運転しています とのアナウンス
そう言われちゃ仕方ない だまって待つ

電車が遅れてブチ切れている人をたまに見かけるけど
そのときは皆が静かに待っていた
ホームの混雑具合からは想像できないほど
静かな朝だった

最寄り駅の1つ手前で一旦降り
家に電話をかけると父が出た
迎えに行こうかと言われたけど
バスで帰るから来なくていいと返事をした
涙が出そうだった

ここで初めておなかが空いていることに気づき
コンビニでサンドイッチとコーヒー牛乳を買う
バスの中で友人からのメールを読んだ
「とにかく何か食べてゆっくり寝て」
と言われて空腹だったことに気づいた
それくらい緊張状態だったみたい

家に着くと両親が待っていた
お疲れさん と言われた
私よりも両親の方が疲れているように思えた
一晩寝室ではなく1階の和室で毛布にくるまって過ごしたらしい

少し離れているとはいえ
故郷がひどい状態でモニタに映し出される
実家とはまだ連絡が取れない
実家の方は全域停電と報じられており
TVが見れないから海沿いの状況を知らないかもしれないなと話していた

手と顔を洗ってサンドイッチを食べ
友人や弟や仙台の従姉と何度かメールをして
なんとなく安心をしたところで寝落ちしたのだろう
その後 月曜朝に上司から電話がかかってくるまでの記憶が
ほとんどない

・・・・・・・・・・・・・・・

1年も経っているのに
昨日のことのように鮮明に思い出せる

あれから自分は
募金と東北復興商品の購入くらいでしか協力できていない
もっともっと何か出来ることがあるんじゃないか

3月11日は忘れてはいけない日ではなく忘れられない日
忘れてはいけないのはこの日以外の364日

明日が来ないなんて普通は考えていない
でも明日が来ない可能性が十分にあることを
今さらながら実感する今日

14時46分
東北方面に向かって黙祷をいたしました

天国に旅立たれた方
大切な人をなくされた方
不便な生活を余儀なくされている方

皆さまの心が安らかになる日が
一刻も早く訪れますように
年に一度 必ず観に行く「日展」

大学で教わった先生が彫刻作品を出品していて
毎年それを発見してちょっと安心して
1年の早さを実感する
(昨年も同じようなブログ書いたかも・・・)

色の流れ方がいい感じの日本画があった

日本画は水彩画とは似て非なるもの

岩絵の具のザラッとした感じが
絵の中で流れて留まって色を出す

水分が飛んで
色がモワ~っと浮き上がってくるのが好き
だったなぁ・・・

って!
過去形にしてはいけない!ガーン

また描いてみようかな
とりあえず デッサンを再開してみたいと思う
秋の夜長アート