電話がかかってきた。友人の家族だが患者様だ。

患者様:「先生は友人の家族だから治療を遠慮しているのではないの?」

ソーナンス:「ありえません。治療が必要なら引きずってでもします。今は良くなってきているので様子をみましょう。それも治療ですよ。」

患者様は安心して電話は切れた。そのときふと考えた。自分はいつからこのようなことが言えるようになったのだろう?

子供の頃はホラー映画で血が出るのが嫌で、人を傷つけるのが嫌で、命令するのも嫌い。

そんな自分がいつの間にか血が出る世界にいて、きついことを言い、人を使っている・・・・

自分は以前にも書いたように小児科が志望だったときがある。

学生時代の実習も小児科を希望して一番長く実習経験をした。

「先生の眼が好き。優しい眼をしてるから」

入院中の男の子に言われた言葉。その子の病気が気になり勉強した。すると20歳ぐらいまでで死亡してしまうことを知ってしまいショックを受けたのを覚えてる。

子供たちになつかれ、勉強もそっちのけで遊び相手をしていた(ただの勉強嫌い?)

自殺未遂の女の子に気に入られてどう接していいかわからなくなったり、虐待児の子供がわがままになって手を焼いたり。いろいろあった。

しかしある日、僕を指導していた先生が白血病の女の子の脊椎穿刺を手伝えと言った。ただ押さえ込むだけしかできないけど泣き叫ぶ女の子に耐えられなくなりそうになった。(そのこは案の定それ以来僕を見ると逃げるようになった)

そして一生忘れられない指導医の先生からの言葉

「君が今していることは医療ではない。医師になればどんなにかわいそうでもその人のためになるのなら鬼にでもならなくてはならない。これから医師になるなら神のような優しい心、鬼のようなことができる手。神の心と鬼の手を忘れるな」

その言葉は今でも僕の心に刻まれている。

医師は時として天使のように 時には悪魔のようにといった相反することを要求される。かわいそうだから治療できないでは済まされない。逆に無茶苦茶な治療ばかりすれば事故が起こり犯罪となる。

さっき外来でお年寄りの患者様から

「先生の眼はきれい」(顔ではない)

と言われた。あの学生実習のときのような純粋な心は今はもうないかもしれない。でもプライベートは別としても医師であるときは純粋な心で患者様と接していたい。疑うことからはじめるのでなく信じることからはじめる。

神の心と鬼の手。天使と悪魔。

僕の医師としての一生のテーマです。

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