『どんな自分になりたい?』『なりたい自分は?』そんな問いを自分に投げかけて、気づく。

そもそも、どんな自分になりたいのか、さえも私は見失っていたのかもしれない。私は、自分がどんな自分になりたいのかさえ、分からなくなっているのだろうか。

 

例えば、毎日同じことの繰り返しをする仕事は私は耐えられない。例えば、事務。例えば、遊園地のお姉さん。

そうじゃない毎日といえば、毎日変化のある仕事。例えば、イベント。例えば、営業。

 

世間から離れてもう1年半経つ。楽しくないことはしたくない、と世の中の普通を放棄して得た時間で得たものは一体何だったんだろう。適応障害、からは抜け出した。大切な人もできた。友達もできた。だけど、自分だけどうしても世の中から置いてかれてしまったのではないか、そんな気持ちはいつだって私を不安にさせたりする。『どんな自分になりたい?』そう自分に問いかけると、最初に思いつくのは、「あの頃よりも、すごくなりたい」だったりする。いつだって、他人から思われている自分から抜け出せない。

 

「あの頃よりもすごくなりたい」って何なんだろう。あの頃っていつだろう。すごいって何だろう。私は一体、どんな人になりたいのだろう。すぐ側にいる私の中の他人、は私に何を求めているのだろう。私がやりたいことをやればいい。行動すればいい。どんなに失敗したって、私にはもう失くして怖いものなんてないのに。すごくなったところで、私は他人にどういう思われたいのだろう。どう思われたら、私は満足するのだろうか。なんて、答えの出ない問いをぐるぐると探したところで、私は結局、他人軸のまま25歳になったということが真実。

 

逃げている。私は、もう一度頑張ることから逃げている。

彼との人生を言い訳にして、私は今、逃げている。