みなさんこんばんは
子どもが不登校になって、
まずは、「信じて」みましょう
って、言われます。
で、何を!?
信じるのでしょうか?
「子どもがまた、学校に行けるようになる」?
「将来は立派な大人になる」?
「親の理想通りに育って親孝行してくれる」?
。 。 。
信じるって、、なんだろうか?
「信じる」=「願い」なのかな?
あれ?
でもそれじゃあ、、
「信じる」が「親のコントロール」に
なるんじゃね?
あれ?
課題の分離。
親子であっても個々の人間だって学んだよ?
ならば、
相手の課題に立ち入ってはいけないんじゃないかな?
私からして未来になってほしい姿を信じるって、
コントロールだね?立ち入ってるよね??
すごく、すごく疑問でした。
だけど。答えは、
すごくシンプルなんだとわかりました
『具体的になりたい姿をイメージして、
それを信じる。』
未来に向けた目標がある状態。
コレが通じるのは、自分自身だけ。
だって、
誰かを変えることはできないから。
変えられるのは自分だけだから。
じゃ、親として、
子ども(自分以外の人)を信じるって
どういうことなのか?
それは、
自分自身に向けたやり方とは逆!を信じる
ってこと!
「具体的な姿ではなく」
「期限のある目標もない」
だけど!
「未来は、
この子にとって、
一番良い姿になってる」
って決まってる
てことは!
「今ここの、
起きている現実は、
この子にとって、
必要なことなんだ」
って決まってる
あぁ。そうかー。そうなんだー。
私がコントロールしようと信じるなんてしなくても。
元々。
この子は、立派にやれているんだね。
未来に向けての階段の一段に過ぎないんだね。
あぁ。そうなんだー。
この階段はちゃんと続いているんじゃんね。
そうだったのか。
具体的には分からなくても信じていいんだー。
そうか。
じゃ、そう信じて、子どもを見てみよう!
私の心配オーラは引っ込むかしら?
うん。実験だ〜
てことは、
私が親でいてもいいね?
私が親でミスった部分もあるけれど。
それさえも、今までの階段の中で子どもは引き受けていたんだね。
今ここの階段では、
子どもも、私も、その事に気がついた段!
だから、ここからの階段を登ればいいだけだわ!
うん。私を責めるのもやめて。
私は、私の課題をやったらいい。
今、ここ。
これで良いんだ。
当時、ノートにそんなような感じで
書いていたと思い出します
今ここの現実が、既にこれで正解なんだったら。
焦ってもしょうがないじゃん。
期限もない。
この先の正解は、この先にしか分からない。
今が完璧だ!ヒャッホーイ!ってわけじゃないけど。
あぁ。これで良いんだな。
スン(・_・)
頭の中が?心が?静かになりました
子どもを「信じる」ってなにか?の答えは。
遠い未来の光と、
今ここの一段。
どうか、
不登校の親御さんたちが元気になりますように🙏