二、南無妙法蓮華経とは何ぞや

 南無妙法蓮華経とは、末法の一切衆生を救済すベく御出現された日蓮大聖人が、建立遊ばされた御本尊のことである。
この御本尊を人の面から拝すれば御義口伝(御書七五二頁)に云く、「されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」と。すなわち久遠元初自受用身・無作三身如来、即御本仏であらせられる日蓮大聖人であり、法の面から拝する時は、事の一念三千・無作本有の南無妙法蓮華経である。         
 

 なお詳細は観心本尊抄(御書二三八頁)等を拝すべきであるが、かんたんにいえば、宇宙生命の大法則に合致した生活法ともいうベきか。


 以上の人と法は即一であり、渾然一体となっている。
 南無とは帰命ということで、一致するということである。
 

 妙法とは不思議な現象即ち生命で、御義口伝(御書七〇八頁)に「妙とは法性なり法とは無明なり」と仰せあるごとく、迷いと悟りが一体のことである。蓮華とは原因と結果が倶時のことである。経とは御義口伝(御書七〇八頁)に「一切衆生の言語音声を経というなり」と仰せあり、宇宙の生命の発する一切の言葉・音声である。鳥が囀ずるのも赤ん坊の泣声も経である。

 又御義口伝(御書七〇八頁)に「三世常恒なるを経という」との御言葉は、一切の生命は過去・現在・未来の三世にわたって永久の存在であると拝するのである。


 要するに宇宙生命の根源であり、合すれば一大秘法の大御本尊であるが、開けば三大秘法となり六大秘法となる。
 三大秘法とは、本門の本尊と、本門の戒壇と、本門の題目である。


 本門の本尊に人、法あり。人は日蓮大聖人、法は南無妙法蓮華経である。
 

 本門の戒壇に義の戒壇と、事の戒壇とある。義の戒壇とは御本尊の在します場所を指す。事の戒壇とは国立の戒壇である。国中の信仰の中心となる場所である。


 本門の題目に信、行あり、信心と修行である。絶対唯一の御本尊によって、成仏を願うのが信心であり、これが因とな
る。御本尊に南無妙法蓮華経と唱えるのが修行であり、即身成仏が果であるが、ともに一瞬の所作である。
 この六大秘法を分散すれば八万宝蔵となる。